ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

ホロコースト否定論(否認論)を徹底的に検証するブログ

ホロコースト論争ブログが『ホロコースト論争』動画を論破するシリーズ(4)

「ホロコースト論争」動画を論破する(1)

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「ホロコースト論争」動画を論破する(8)/おわりに

 

「「歴史修正主義」の驚愕の「起源」とは?「ホロコースト論争」4/20 これが「論争の基本構図」!」と題された動画を論破する。

今回の対象動画はYoutubeから消えているため、ニコニコ動画の方から貼り付けています。ニコニコ動画の方は私は無料のまま使っているので、有料でしか使えない倍速視聴が出来ないのは辛いところですが、一旦停止で手動でページ切り替えすればいいだけですしね。但しそれだと途中の映像を見逃してしまうことがありますので注意が必要です。

今回の対象動画は、特にホロコースト否定の議論内容も出てこないので、少々退屈になることを最初にお断りしておきます。三つ目の動画まではしつこく「孫引き」を指摘しておきましたが、今回の動画はほとんどダラダラ加藤自身が述べているだけなので、その孫引きもありません。

今回はこの記事を作成するにあたって、テキスト文字列ばかりなのを考慮して、こちらの作業としては一旦動画のスクショから、テキストを全部取り出し、反論していく構成にしたため、指摘箇所が動画内の何分何秒なのかを示すことはしません。全文引用しているので、読者の方におかれましては、いちいちそれが何分何秒にあるかを探さなくて済むと思います。指摘箇所についてはページ内リンクでクリック(タップ)すれば私の反論・批判に飛ぶようにしてあります。

なお、いちいち真面目に視聴するのが面倒なので、「この辺は音声のみで説明されているんだろうなぁ〜」とは分かるものの、音声はほぼ全て無視している(一箇所だけは聞き取らざるを得ませんでした(畜生w))ことをお断りしておきます。如何にも動画的な編集になっている部分も無視し、動画とは多少異なった表示形式・順序になっている部分もあります。

 

「歴史的修正主義は今世紀最大の知的冒険である」
ユルゲン・グラーフ
ホロコースト論争」完全解説第4章
「正史派」と「修正派」の主張の違いについて。

 

いきなり質問ですが、「歴史修正主義者」という言葉に対し、どのようなイメージを持っていますか?
恐らくは、「過去の歴史的事実を否定する狂信的右翼、人種差別主義者、ヒトラーの信奉者……………」といったものではないでしょうか。

しかし、(1)歴史上最初の歴史修正主義者は、元レジスタンスで、共産主義者だったことを知れば、多くの人は驚くことでしょう。ポール・ラッシニエはフランス人歴史教師で、ブッフェンヴァルト収容所の囚人でした。 彼は、自分の収容所での体験から、戦後に作られた歴史観に最初に疑問を持った研究者でした。

そして、「ヒストリカル・リビジョニズム」つまり、「歴史的修正主義」とは、このような人々自身が生み出した言葉だったことを知れば、二度驚くことでしょう。

(2)「リビジョン」という言葉は「見直し」「改訂」のことです。
「リビジョニズム」とは、権力者の手によって政治的に歪曲された歴史観を、実証主義的 に再検証し、修正すべき点については「正しく修正しよう」という姿勢のことであり、学間にとって当然の原則を表現したものです。

それが時を経るごとに、「自分の思想に合うように、歴史を勝手に修正する 」 という意味合いに変化してしまったのです。
(3)「ホロコースト・リビジョニズム」は、より誤解が無いように、「ホロコースト再検証運動」 と表現するべきでしょう。

この動画においては「リビジョニスト」のことを、「歴史修正主義者」というレッテル 張りの要素が強くなってしまった訳語を使わずに、単に「修正派」と呼ぶことにします。
これら修正派の研究者達についても多くの誤解があるようです。

まず、彼らの国籍は様々です。 (4)ゲルマール・ルドルフはドイツ人、ユルゲン・グラーフはスイス人、ロベール・フォーリソン教授はフランス人、カルロ・マットーニョはイタリア人です。 他にもアメリカ人、ロシア人、ユダヤ教徒、日本人にも修正派はいます。

(5)イツァク・アラド、
 ハナ・アレント、
 イェフダ・バウアー、
 リチャード・ブライトマン、
 ルーシー・ダヴィドヴィチ、
 アレクサンダー・ドナト、
 ジェラルド・フレミング、
 ダニエル・ゴールドハーゲン、
 アレックス・グロブマン、
 イスラエル・ガットマン、
 ラウル・ヒルバーグ、
 セルジュ・クラルスフェルト、
 シュムエル・クラコフスキ、
 クロード・ランズマン、
 デボラ・リップシュタット、
 アルノ・メイヤー、
 ロバート・ヴァン・ペルト、 
 レオン ポリャーコフ、
 ジェラルド・ライトリンガー、
 ピエール・ヴィダル-ナケ、
 ジョルジュ・ヴェレール、
 サイモン・ヴィーゼンタール、
 エフライム・ツロフ

ただし、このこと自体は論争に全く関係ありません。 研究者の主張が正しいかどうかの判断に、その人の肩書き、経歴、思想信条、人格、宗教、民族、国籍等が、一切影響するはずはありません。
(6)考慮すべきは唯一つ、その主張の中身そのものなのです。

また、修正派研究者の政治的思想は様々で、 むしろリベラルが多いようです。 代表的な修正派研究者、(7)ゲルマール・ルドルフの本来の専門は化学で、思想にはあまり興味が無いと語っています。世界で初めて「殺人ガス室」の科学的検証を行い、世界に衝撃を与えた、ガス処刑の専門家、フレッド・ロイヒターも、全くのノンポリだと言われています。

私が知る限り、 彼らは軒並みナチスによる苛烈なユダヤ政策には批判的です。
彼らは、収容所において疫病などで大量の死亡者が出たことを否定していません。 いや、 否定しないどころか、これまでの動画で紹介したような、(8)収容所の実態が詳細に解き明かされたのは、むしろ、殆どが修正派による研究の結果なのです。

彼らが否定している「ホロコーストの犠牲者」は、これまで解説した死亡者とは、全くの 「別枠」です。
ホロコースト正史派の研究者は、収容所では囚人達の労働力活用と同時に、「ユダヤ絶滅計画」に基づく無差別殺戮が行われたと主張しています。

例えば、(9)アウシュヴィッツにおいては、既に解説したとおり、総計13.6万人の囚人が主に疫病によって死亡したのですが、それと平行して、「殺人ガス室」 によって(10)400万人が殺害されており、そちらは記録に一切残されなかった…………… というのがニュルンベルク裁判の時点で「認定された事実」 です。

修正派は、これを「絶滅論」、正史派の研究者を「絶滅論者」(exterminationists)
と呼んでいます。 これもまたレッテル張りの要素が大きい呼称と思われますので、この動画においては単に「ホロコースト仮説」(Holocaustism)「正史派」(official version)と呼ぶことにします。

前の動画において、「ユダヤ問題の最終解決」とは、「大量移住による、ヨーロッパ からのユダヤ教徒強制排除」のことであり、これには全く異論が存在しない、と解説しました。
しかし、それはあくまでも 「戦争初期段階までは」という条件付きでの話です。

「最終解決」 は、元々ある意味ではユダヤ絶滅計画でした。しかし、その手段が、戦争初期のある段階から 「強制移住」から「文字通りの皆殺し」 に変更された、というのが正史派の主張なのです。

これに対する、修正派の主張は極めて明快です。 彼らは「最終解決」 は最初から最後まで、 移住による強制排除のことであったと考えています。
そして、否定しているものは 「ユダヤ絶滅計画」とそれに基づいた殺害……………後にも先にもこれだけです。

修正派は一般には、「ホロコースト否定派」と呼ばれています。「ユダヤ絶滅計画」のみを否定している彼らが、「否定派」と呼ばれており、事実、(11)ホロコースト論争はその一点でのみ争われている以上、(12)「ホロコーストの定義」は、「ユダヤ絶滅計画に基づく無差別殺害」とするのが相応しいし論理的です。
実は、この動画シリーズでは、これまで「ホロコースト」 という単語をずっとこの定
義で使ってきたのです。
それに対し、(13)ユダヤ教徒の強制移住、強制労働、 それに関連した大量死については、「ユダヤ迫害政策」 と呼び、明確に区別しています。

では、 (14)修正派と正史派の主張の違いを、具体的な死者数で整理してみます。
ホロコースト論争においては、第二次大戦中で死亡したユダヤ教徒を、次の三つに分類できます。

まずは、 収容所で死亡したユダヤ教徒です。 これを 「1」 とします。 これを「1」
次に、屋外で特別部隊に 「意図的に射殺された」 民兵、 非戦闘員のユダヤ教徒がいます。 これを 「2」 とします。

そして、戦乱に巻き込まれた民間人、通常の戦闘で戦死した軍人など、様々な理由で亡くなったユダヤ教徒もいます。これを「3」とします。

さらに、「1」は、二つに分類できます。
一つは、前の動画で解説した、主に疫病が原因で亡くなった囚人です。これを 「la」 とします。
それから、ユダヤ絶滅計画に従って、「殺人ガス室」で殺された人々がいます。これを 「1b」とします。

「2」 も その目的によって二つに分類で きます。
まず、治安維持、パルチザンに対する報復 といった目的で、個別的に射殺したケースが あります。これを 「2a」とします。

次に、 あまり知られていない事実ですが、ユダヤ絶滅計画は屋外で特別部隊によって
も行われたことになっています。 このような、ユダヤ教徒を標的に無差別に行われた
射殺を「2b」 とします。

そして、これらの死者の背景に、ユダヤ絶滅計画という意図があったかどうか、とい う論点があります。これに含まるのは、当然「1」と「2」です。

(修正主義者の主張)

 収容所で死亡したユダヤ教徒
 1a 主に疫病が原因で死亡 ○ 54万人+αの50%超
 1b ユダヤ絶滅政策に基づくガス処刑 ×

 屋外で射殺された非戦闘員ユダヤ教徒
 2a 治安維持の目的で、 ゲリラ兵を個別的に殺害 ○?人
 2b ユダヤ絶滅政策に基づく無差別射殺 ×

 3戦士や様々な要因で戦乱に巻き込まれて死亡 

 1a+2+3 合計100万人前後

また、 修正派は屋外で特別部隊が民兵を射殺したこと自体は肯定しています。 しかし、その目的はあくまでも治安維持であって、個別的に行ったと主張しています。 ただし、それに伴って全くの非戦闘員も犠牲になった可能性も否定していません。 「2a」 の人数については、資料が不足しており推定すら不可能だという前提の上で、少なくとも正史派が主張している死者数は、余りにも過大だという主張です。

(正史派の主張)

 収容所で死亡したユダヤ教徒
 1a 主に疫病が原因で死亡 ?人○
 1b ユダヤ絶滅政策に基づくガス処刑 1000万人○

 屋外で射殺された非戦闘員ユダヤ教徒 300万人
 2a 治安維持の目的で、ゲリラ兵を個別的に殺害 
 2b ユダヤ絶滅政策に基づく無差別射殺 

 3戦士や様々な要因で戦乱に巻き込まれて死亡 

 合計 600万人

  ①ガス処刑=1000万人
  ② 屋外で射殺=300万人
  ①+② 合計 600万人

収容所でチフスの予防を行ったことも、 病死者が大量にいたことも否定はしていません。ただし、私が見る所、このような死者について、正史派は余り関心を向けていないような印象です。

屋外での射殺についても、治安維持の目的もあったことを認めた上で、ユダヤ絶滅が主眼だったという主張です。

(註:上記の「①(ガス処刑=1000万人)+②屋外で射殺=300万人 合計 600万人」の計算を受けて)ますます意味が分からなくなってしまった人が多いでしょうが、これについては、少々長い説明が必要です。 次の動画では、正史派 の主張の中身をもっと詳しく解説いたします。

さて、大雑把に論争の構図を説明したところで、わたしの立場を改めて明確にしておきます。
前に、自分の肩書きは「ホロコースト論争の解説員」ではあるが、自分自身の見解もある、と述べました。
(15)私は、この問題を2000年ごろに知り、大きな驚きを覚えました。そして、手に入る限りの情報を集め勉強を始めました

ネット上で大論争も行いました。
そして半年後、この論争は完全かつ全面的に修正派の主張が正しいという判断に至ったのです。 そして、 その判断は知識を得るごとに、むしろ強くなる一方でした。
もちろん、純論理的には、ホロコースト仮説が正しいと信じるに足る根拠が示されることが今後あるなら、この判断が翻る可能性はあるのです。(16)それが、学問という物です

この動画を見ているみなさんに、是非ともお願いしたいことがあります。

この動画の内容を簡単に信じたりしないで欲しいのです。

私は「ホロコースト仮説は間違いである」と判断しています。 欧米流に言えば、 「歴史修正主義者」 と呼ばれる人々の主張を支持しているのです。
ですから、この動画の内容もそのようなバイアスがかかっていると考えるべきなのです。 解説してきた全ての情報を疑ってください。 そして、(17)疑問点があったら是非裏をとってください

同時に・・
世界に溢れているホロコーストに関するあらゆる記述についても同様に疑ってください。 果たして、その記述のソースは何なのか、常に警戒して下さい。
例えば、(18)アルマ・ロゼのwikiの記述にしても、彼女が何故病気から回復できたのか、ぼかされていたことを思い出してください。

知られてもいい事実ばかりを記述する中で、都合の悪い事実を隠してはいないか。 確定した事実の中に、立証されていない仮説が巧みに潜り込んでいないか。
その主張にはどんな根拠があるのか。 常に疑ってください。
何よりも、 あなたの先入観を疑って下さい。
物には 「道理」という物があります。
道理に従って、曇りのない心で思考すれば、おのずと 「理に叶った解答」 が見えてくるはずです。
それが、遥か昔から続き、 そして今この瞬間も行われている、(19)情報操作という妖怪と戦うための、唯一の武器であるに違いないのです。

ご視聴誠にありがとうございました。
この動画シリーズは、いずれアカウント停止やアクセス規制、 削除といった処置を受けるのではないかと、私は恐れています。
(20)この動画の趣旨、内容を評価して下さった方は、是非とも、拡散、保存をお願いします。 そして、 視聴が不可能になったならば、是非とも再アップ ロード、再拡散をして頂くようお願い致します。

 

(1)歴史上最初の歴史修正主義者はポール・ラッシニエ?

いいえ。歴史上最初の歴史修正主義者は誰なのかよく分かりません。歴史修正主義とは何なのか?定義の問題もありますが、こちらの記事から翻訳引用すると、

www.neh.gov

私たちが歴史修正主義者と呼ぶものは、文字による歴史の誕生と同時に出現した。多くの人が主張するように、1960年代の急進主義が生んだものでもなければ、政治的な左派が生んだものでもない。それどころか、ヘロドトスとトゥキュディデスという、西洋における歴史記述の創始者として名高いギリシア人から始まったのである。それ以来、イデオロギースペクトラムにおいて定まった位置を占めることはなく、事実、リベラルな主張と同様に保守的な主張に対しても多くの解釈的勝利を獲得してきた。

とありますが、紀元前480年頃の話で、西欧における話ですから、もしかしたら他の古代文明社会でも修正主義があった可能性もあります、未調査なだけで。

加藤にもしこのように指摘すれば、ホロコーストに話を限定してくるかもしれませんが、それも最初が誰なのかよく分かりません。USHMMのホロコースト百科事典にあるこちらの年代記を参考にするといいかもしれません。ただし、そこにあるポール・ラッシニエが1964年に初めてホロコースト否定を主張したかのような書き方は誤解を招くものであり、その主著の一つである『オデュッセウスの嘘』は1950年です。しかしフランスに話を限定するとしても、モーリス・バルディシュなるジャーナリスト・文芸批評家が『ニュルンベルクあるいは約束の土地』でホロコーストの犠牲者数を極端に矮小化したのは1948年であり、ラッシニエの同著より前になります。ただし、ラッシニエが広く、「ホロコースト否定の始祖」と言われているのは事実です。なお、ラッシニエが「フランス人歴史教師」というのはやや不正確のようで、こちらによると「エコール・ヴァルドワで教師の職を得て、1933年、ベルフォールの一般教育大学の歴史・地理学教授に就任。 」とあります。

細かい話かもしれませんが、「神は細部に宿る」とも申しますので、私自身も気をつけたいところではあります。

 

(2)「revisionism」を「見直し(論)」と日本語訳したのは誰?

これは私が本人から直接聞いたというだけの話ですが、西岡昌紀氏、らしいです。しかし、「(歴史)修正主義」と呼ばれることの方が実際には圧倒的に多いので、「見直し」は一部でしか広まらなかったようです。

 

(3)ホロコースト修正主義者のやってることは「検証」と言えるか?

これは何度か以前に述べているように思いますが、検証とは言い難いものだと思います。むしろ検証と表現することは誤魔化しに他ならないでしょう。このような、悪意を感じざるを得ない風刺画を広める活動を、検証と呼ぶことは不適切です。私自身は、歴史修正主義と表現するのも優しすぎであり、明確に「ホロコースト否定」とだけ呼ぶべきだと思っています。私自身も、修正主義者と呼んだり、否定派・否定論者等、ごちゃ混ぜ状態で使っているだけですが、それは一般世間に合わせているだけの話です。

 

(4)「Germar Rudolf」は「ゲルマール・ルドルフ」なのか?

Google翻訳にでも突っ込んで、「ドイツ語」で発声させてみてください。日本語でどのように表記するか、定まったルールがあるわけではないので、間違いとも言えませんが、私自身が指摘されたことがあり、気になっただけです。ちなみに日本語Wikipediaでは「ゲルマー・ルドルフ」となっています。

 

(5)正史派(肯定派)はたったそれだけしかいないのか?

もちろん、加藤は一例を示しただけでしょう。何の意味があるのかよくわからない列挙ですが、修正主義者でないホロコースト関連の歴史家・研究者などの数は、プロの修正主義者より圧倒的に、桁違いに多いのは疑いようのない事実でしょう。

ところで「ハナ・アレント」は普通「ハンナ・アーレント」としか日本語では言わないように思うのですが、それはともかくとしてアーレントを正史派とか肯定派と呼ぶのはちょっと違和感があります。アーレントホロコースト関連では『エルサレムアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』で有名なだけではないのでしょうか?

 

(6)「考慮すべきは唯一つ、その主張の中身そのもの」

それは仰る通りなのですが、先に述べたラッシニエについて、加藤が「レジスタンスで、共産主義者だったことを知れば、多くの人は驚くことでしょう」と書いた意図は何なのでしょうか? ラッシニエがレジスタンス・共産主義者であったことは、「その主張の中身」とは関係のない話ですよね? ラッシニエが何を言っていたのか、少しは知っているのでしょうか? 私も直接はそれら主張は読んではいませんが、間接的に相当狂ったことを主張していたらしいことは知っています。こちらのフランスのサイトにはラッシニエについてたくさんの解説があります。一度翻訳して読んでみることです。頭が痛くなるほどのメチャクチャぶりで、さすがは否定派の始祖です。いずれ、当該サイト記事を翻訳公開したいとは思っていますが、宿題が溜まりまくっているので、いつになることか……。

 

(7)ゲルマー・ルドルフに思想はないのか?

そんな馬鹿な(笑)。英語版Wikipediaを読んでみることをお勧めします。日本語版はどうやら修正主義者が書き換えているようなのと情報量が少ないのであまりお勧めできません。それにしてもこれも(6)同様で、肝心なのは主張の中身だと言いながら、ゲルマー・ルドルフに思想はないとか何だとか、あっさりダブルスタンダードを犯す加藤の脳内がいまいち理解できません。もちろん、その意図が印象操作であることは察しはつきます。ホロコースト否定はネオナチの所業などといった評判を覆しておきたいのでしょう。

 

(8)ナチス強制収容所の実態を解き明かしたのは修正主義者なのか?

そんなことは全くありません。アウシュヴィッツにプールや慰安所があった、の類の話のことなのでしょうか? しかし、戦後、プールの話を書いたのは修正主義者もよく知っている通り、元囚人のマルク・クラインであり、それは『大学から強制収容所まで:ストラスブールでの証言』という証言集での証言であって、この証言集は普通に広く、メジャーな歴史研究者たちも使っているものでしかありません。マルク・クラインはこちらにも少し引用した通り、ユダヤ人のガス室処刑のことも証言しているのに、修正主義者たちはそれを紹介しませんでした。しかも、アウシュヴィッツのプール等の情報紹介については、否定派はデマをたくさん混ぜていることは以下のページを読めば分かります。情報にデマまで混ぜることを「実態を解き明かした」などと言うのでしょうか?

note.com

主流の歴史家たちはアウシュヴィッツのプールのことについて書かなかった、と言いたいのであれば、元々は修正主義者ではあったがフォーリソンとは袂を分かち絶滅主義者の一人となったジャン・クロード・プレサックはその主著で、何枚ものプールの写真を載せて丁寧に解説しています。他、アウシュヴィッツ・オーケストラの話や、ナチスの売春宿、図書館などのついての詳細な解説をしているのも、修正主義者でない人たちであって、修正主義者ではありません。それらの詳細な解説情報のある文献などの一部は上で紹介しているリンク内の説明の中に示されています。修正主義者たちがそのような詳しい解説をしたことがあるのでしょうか? その他のナチス強制収容所についても、主流の研究者たちによって詳細な研究がいくつもなされていることは調べるまでもないことです。

 

(9)アウシュヴィッツでは、総計13.6万人の囚人が主に疫病によって死亡した、の?

これはすでに論破済みです。その計算の元になっている「アウシュヴィッツの死の本」にあった囚人の死亡記録からは、死亡簿は明確に死因を改竄していることが判明しているので、死亡簿に書かれた死因を信頼することができないため、疫病死亡者数を出すことができません。たとえ死亡簿の死因の改竄を認めないとしても、修正主義者がよく言う「チフス」については、記録上ではたったの2,060人しか確認できていないこともまた、すでに述べています。修正主義者が、この記録に記されたチフス死亡者の少なさに気づいてダンマリを決め込んでいる疑いがあることは、修正主義者が作成した以下のグラフがなぜかユダヤ人で区別しているだけの形で表示されていることからわかります。死亡簿には死因が書いてあるのになぜそれで区別しないのでしょう?

 

(10)ニュルンベルク裁判ではアウシュヴィッツの死亡者数を400万人だったと認定したのか?

いいえ。ニュルンベルク裁判では、ソ連からアウシュビッツで「400万以上の市民を絶滅した」と述べられただけであり、判決では一切触れられていません。

スミルノフ参事官:……「しかし、アウシュヴィッツ収容所が存在していた期間中、ドイツ人屠殺者は、この収容所で、ソ連ポーランド、フランス、ユーゴスラヴィアチェコスロヴァキアルーマニアハンガリーブルガリア、オランダ、ベルギー、その他の国々の400万以上の市民を絶滅したことを、火葬炉の部分的な使用と、火葬炉が空であった期間についての修正係数を用いて、技術専門家委員会は確認している。」

The Avalon Project : Nuremberg Trial Proceedings Vol. 7より

また、判決ではアウシュヴィッツの死亡者数について、以下のように触れられただけです。

アウシュヴィッツについては、法廷は、1940年5月1日から1943年12月1日までの収容所所長ヘスの証拠を聞いた。彼は、その間に、アウシュヴィッツ収容所だけで250万人が絶滅され、さらに50万人が病気と飢餓で死亡したと推定している。

The Avalon Project : Judgment : War Crimes and Crimes Against Humanityより

これは、所長ルドルフ・ヘスの証言内容そのままであり、ヘスがそう述べた、と書いているだけで、判決でアウシュヴィッツの死亡者数を認定したとは言えません。

誤解のないよう申し添えておくと、細かい話ですが、「250万人」の期間は「1940年5月1日から1943年12月1日」ではありません。ヘスは、アイヒマンがその数字をヒムラーに報告しているところを見たのが、1945年4月だと述べているのです。ニュルンベルク裁判で述べられたその期間は、単にヘスが所長を務めていた期間を意味する(実際には臨時に1944年5月〜7月には一旦アウシュビッツに戻っている)だけであり、その期間内の死亡者数と言ったのではありません。また、ヘスは裁判での証言時や自伝で「犠牲者数の記録を取ることは許されなかった」と述べており、ヘス自身はアウシュビッツでの犠牲者数を直接は知らなかったようです。ただし、ヘス自身はニュルンベルク裁判での勾留中に「せいぜい150万人」と自身の推計を述べています。ニュルンベルクアウシュヴィッツでの殺害数を250万人と述べたのは、アイヒマンがそう述べるのを聞いたため、ヘスはそれが親衛隊の公式数字だと考えたからのようです。

 

(11)「正史派」と修正主義者の間でホロコーストに関する論争など存在したのか?

いいえ、事実上はそんなのありません。そもそもホロコースト否定・修正主義説は主流の歴史家たちからは一切認められておらず、認められていないのですから、そもそも論争が成立しません。ただ、主流の歴史家の間で、修正主義的な考え方をめぐって激しい論争が起きたことはあります。いわゆる「歴史家論争」です。1980年代後半にドイツで生じたこの歴史家論争の内容は、武井彩佳氏の『歴史修正主義』に詳しいので知りたい方はそちらをお読みいただくとして、歴史家論争からも修正主義者たちは埒外でした。

なお、修正主義者の主張に反発する一部の主流に属する人たちによって、修正主義者の主張をdebunkする、つまり嘘や誤りを暴く活動が行われてきましたが、修正主義者たちもそれに言い返すこともしばしばあり、それを論争と呼ぶならそうかもしれません(私のブログ名もその意味で「ホロコースト論争」と名付けているつもりです)。ネット上での素人的言い争いも含めれば、そのような意味では論争はあったとは言い得るでしょう。

しかし、修正主義説が主流になることはあり得ないので、よく使われる意味での「論争」、たとえば「論争になっていて決着していない」などの言い方はできません。2000年代前半頃まで修正主義者たちの中心組織的な位置を担ってきたIHRの所長であるマーク・ウェーバーは以下を読めばわかる通り、「人々に、おなじみのホロコースト物語には欠陥があることを納得させることには、ほとんど成功していない」「従来のホロコースト証言が詐欺的あるいは誇張されたものであると人々を説得することに成功していない」のように語っており、事実上こうした状況を認めています。

note.com

 

(12)「ホロコースト」に定義なんてあったのか?

たとえば、Googleで「ホロコーストの定義」として検索すると、2023年8月現在、USHMMが運営する日本語版ホロコースト百科事典にある「ホロコーストとは、ナチスドイツ政権とその同盟国および協力者による、ヨーロッパのユダヤ人約600万人に対する国ぐるみの組織的な迫害および虐殺(の)ことです。 ホロコーストは1933年から1945年の間にヨーロッパ全土で進展したプロセスです。 ホロコーストの根底には反ユダヤ主義がありました。」という説明が得られます。

しかし、「ホロコースト」という言葉は、単に、歴史上で起きた事実を指しているだけであり、定義はありません*1。一般的には、ホロコーストという呼び方が広まったのは、1970年代に作成された米国ドラマの『ホロコースト』からだと言われることが多いようです。一部では、ホロコーストと呼ぶのは不適切であり、ショア(SHOAH)と呼ぶべきだとの声もありますが、「ホロコースト」という呼び方は、一般世間的に広まった呼び方なのであって、たとえば「ジェノサイド」のように条約で定められたきちんとした定義のある言葉ではないのです。

 

(13)ユダヤ人の直接的な殺害以外の、ユダヤ人に対するナチスドイツによる迫害状況一般はホロコーストに含まれないのか?

いいえ。たとえばホロコースト映画の代表作と言われる『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』では、ガス室での大量殺戮シーンなど一切ありませんが、それら映画ではホロコーストが描かれていないと評する人がいたら奇異に見られるでしょう。前述した通り、「ホロコースト」は一般世間的に普及している用語なのであって、厳格な定義を持つ言葉ではありません。ホロコーストという言葉は、第二次世界大戦以前から使われていた言葉であることは、修正主義者もよく知っている事実のはずです。

note.com

 

(14)「修正派と正史派の主張の違いを、具体的な死者数で整理」?

ここから以降、意味不明の「正史派」による犠牲者数の加藤による捏造まで、この後の動画で加藤が解説するそうですので、ここでの私の反論も控えることといたします。ただし、何度も言っているように、この動画を全て論破するのは作業的に非常にめんどくさいので、反論しない場合も大いにあることはここであらためて述べておきます。全部反論してほしい人がいらっしゃったら、手間賃ください(笑)実際に、noteの方から金銭援助していただくことは可能です。もちろん、それがあったら嬉しいと言っているだけです(笑)

 

(15)加藤がこの動画を作るに至った経緯を告白しているが……

加藤がホロコースト否定に興味を持ち始めたのは2000年ごろなのだそうです。私自身は、マルコポーロ事件が起きた頃に、それを耳にする程度には知っていましたが、本格的に興味を持ち始めたのは2020年頃なので、加藤は私の20年も先輩です(どーでもいいw)。

ただ、ホロコースト否定をめぐる議論が日本でも2000年代前半に盛んだったことは、ネット検索をやっていると朧げにわかります。おそらく、その頃から2ちゃんねるが大流行したこともその理由の一つでしょう。

加藤は、ネットで大論争をしたと告白していますが、そうした論争が、論争をした当人にある種のルサンチマンを形成することは珍しくないようです。加藤がその当時に「肯定派」にコテンパンにされたどうかは知りませんが、悔しさ程度のものはあったのではないでしょうか。それは議論の勝ち負けではなく、もっと絶対に負けないくらいに、加藤の言葉を借りれば「完全かつ全面的に修正派の主張が正しいという判断」に至るほどに、知識を蓄えてやる!のような決意をもたらす悔しさです。肯定派からどんな攻撃があろうとも、どんな攻撃も跳ね返せるほどの武器を持つ、あるいは攻撃を躊躇うような核武装も辞さない北朝鮮の如く、見かけだけでも強くなりたい!と(笑)

私自身の告白をすれば、私自身のルサンチマンを理解しています。ホロコースト否定論が持つホロコースト否定のための情報量は膨大なものであり、興味を持ち始めた当初の2020年頃は、ほとんど全く反論できない状態だったからです。スポーツでもなんでもそうだと思いますが、そうした「悔しさ」こそが、自分をより強くする契機になるわけでして、そこは私自身も加藤と同類です。同じ人間なので当たり前ですが(笑)

ただ、加藤は「完全かつ全面的に修正派の主張が正しいという判断」に至るのに半年かかったと言っていますが、私は最初から否定論が嘘であり間違いだと決めつけていました。私がなぜそう思ったのかを自分自身ではよくわかっていません。それは、昔から歴史修正主義者を毛嫌いしていたからかもしれないし、かつて熱中した南京事件の議論を経て修正主義者の習性をある程度は自分なりに理解していたからかもしれません。また経験としては少しですけど、自分自身がいわゆるトンデモ説に引っかかった経験も生きているようには思います。

ただ、私が加藤と一点だけ決定的に異なるのは、私はホロコーストには確実に犠牲者がいて、それら犠牲者遺族やあるいは殺されずにすんで生存し、辛い思いをしながらも自らの経験を語ってきた人たちがいるということを、非常に重く受け止めていることです(語らなかった人も多いのです)。なぜホロコーストの体験をそれらの人は語ってきたのか、それは二度と再び同じ悲劇を絶対に繰り返さない(それでも世界各地でジェノサイドが起きてはいますが)ためです。その思いは、我が国日本の戦争体験者の人たちの多くが「絶対に戦争だけは二度と繰り返してはならない」と語ってきたのと同じ思いなのに違いありません。

 

(16)加藤が「学問」?

何度も何度も言いますが、「孫引き」ばかりしていてよくそんなことが言えたものです。

 

(17)疑問点があれば裏を取れ、ですって?

はい先生、私が先生のおっしゃる通り徹底的に「裏取り」をしてみました。結果、これまでのところ出鱈目ばかりだと判明しています(笑)。

 

(18)アルマ・ロゼについて大して調べなかったのは誰なのでしょう?

加藤は、アウシュヴィッツ収容所の「死の収容所」としてのイメージに反する、病院の存在を修正主義者らしく強調するのですが(アウシュヴィッツ収容所に病院があったことは別に誰も隠していません。それどころか親衛隊の医師や囚人の医師がアウシュヴィッツにはたくさんいたことはよく知られています)、アウシュヴィッツ・オーケストラの一員でもあった、囚人となっていたユダヤ人の音楽家でバイオリニストのアルマ・ロゼについて、日本語Wikipediaに「アウシュビッツへ到着した際、ロゼはひどい病気であったため隔離されていたが、回復後にアウシュヴィッツの女性オーケストラのリーダーの仕事を担った。」と書かれているだけで、当然病院で療養したはずなのに病院のことが書いていないのは、病院を表に出すとまずいからだ、のような趣旨の妄想を述べたわけです(言うまでもないことですが、Wikipediaは誰でも編集できます……)。

加藤が、アルマ・ロゼについて日本語Wikipedia以上に調べた形跡は全くなく、それが英語版ウィキペディアからの翻訳であったことも知っていた形跡もありません。私はアルマ・ロゼがアウシュヴィッツに到着して最初はどうなったのかについて、たかが数分ググるだけで、アルマ・ロゼは「医療実験棟に送られた」とする記述を見つけることができました。

holocaustmusic.ort.org

前回はそれともう一つのサイトを見つけただけですが、今回新たに、ヤド・ヴァシェムのサイトにも記述があるのを見つけました。

アウシュビッツ・ビルケナウに到着したアルマは、メンゲレ博士の医学実験を受けるためにブロック10に送られる。彼女は最後にもう一度だけヴァイオリンを弾かせてほしいと頼む。彼女がバイオリンから引き出した音は、少なくとも今回は彼女の命を救った:マリア・マンドルは彼女をブロックから連れ出し、女性オーケストラの指揮を任せた。アルマはすぐに、オーケストラの一員であることがいかに重要かを理解した。囚人である彼女たちは看守の目には何の価値もないが、音楽家であるというステータスは、殴打、虐待、死を免れるかもしれない、と。

前にも書いた通り、事実としてはどれが信頼性が高いのかについては、Wikipediaや私の探し出してきた記事の記述についてのさらなる根拠を調べないとわかりません。しかし、こんなに簡単に調べられる程度のことを調べないのですから、加藤はただ単に自分自身が信じたホロコースト否定の主張を補強したいだけであって、「事実」を調べる気がないのでしょう。

 

(19)「情報操作」って……、結局は陰謀論ですか。

陰謀論者は一般に、そのように呼ばれることを嫌うようですが、そもそも陰謀論呼ばわりされることの意味をわかっていないようです。世の中に陰謀的な動きがあちこちにあることを別に否定しているわけではありません。これを書いている最近(2023年)だと、ジャニー喜多川氏による性加害問題がBBCが大きく取り上げたことにより、日本で大炎上を引き起こしたわけですが、大手テレビ局がジャニタレを使うことによって視聴率を稼いでいたので、ジャニーズ事務所との関係を良好に保っておきたいため、ほとんど報じてこなかった、みたいなのはその一つです。

しかし、そうした考え方があまりにも無秩序に拡大適用され、そのような「公にはならない隠された意図」によって、世界そのものが動かされていると考えるようになると、はっきりいってそれはビョーキです(病気とは言いませんが)。陰謀論呼ばわりして陰謀論者を馬鹿にしているのは、そういう意味において、なのです。「こいつら何でもかんでも陰謀と言っときゃ世界が理解できたとでも勘違いしてやがる」みたいな。

だったらその陰謀それ自体を明らかにしてよ、と私なら言いたくなります。「情報操作」というのであれば、ホロコーストを否定することではなく、情報操作それ自身を暴く必要があるのではないでしょうか? ところが陰謀論者は、陰謀それ自体を暴くことは決してないのです。ホロコーストに関していうならば、これやあれは矛盾している、矛盾していること自体が捏造の証拠であり、連合国やユダヤ人の陰謀の証拠である! みたいなことを抜かしますが、誰がいつどのようにして捏造を仕込んだのか、その具体的な捏造それ自体の証拠が示されることは決してありません。修正主義者たちは「証拠を出せ!」と「正史派」に迫りながら、自分達は証拠を出さないのです。こんな手前勝手で都合のいいことがあるでしょうか。

 

(20)呆れた「お願い」

私が最初にこの動画シリーズをぼけっと眺めていて、本当に心底呆れ返ったのがこの加藤のお願いです。加藤自身はアカウント停止されるかもしれないなどとその危険性を自覚しているのに、その危険な行為を他者にお願いするからです。そんな馬鹿げたお願いが常識的にあり得ますか? むしろ、「この動画を拡散するのは危険なのでおやめください」くらい言うのが普通の感覚だと思います。

加藤は本当に常識というものが欠如していると断ぜざるを得ません。

今回は以上です。

 

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*1:語源についてはWikipediaなどをご確認ください。