ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

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ホロコースト論争ブログが『ホロコースト論争』動画を論破するシリーズ(7)

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ホロコースト論争」動画を論破する(7)

「ホロコースト論争」動画を論破する(8)/おわりに

 

「「証拠写真」の「偽造」を解説する!「ホロコースト論争」7/20 「数多くの証拠」の正体とは?」と題された動画を論破する。

4〜6番目の動画では一旦全部、テキストや画像を取り出してから、指摘箇所を選択してその箇所ごとに論破していく構成を取りましたが、今回は動画を流し見した感じ、その必要はなさそうなので、また初期のやり方とおり、動画内の時間を示しつつ、その箇所ごとに論破していく構成とします。

さて、加藤は今回の動画の冒頭の方で以下のように述べます。

00:29/ホロコーストの「写真」について。
ホロコーストは、数多くの証拠によって、 疑いようもなく証明されている」
これは、まるで定型句のように使われる表現です。
慰安婦問題」や「南京問題」を語る際にも、日本人がしばしばこの表現を使います。 しかし、このように口では言っていても、ホロコーストを立証する根拠がどんなものか、具体的に知っている人は実際には殆どいないでしょう。
「数多くの証拠」
これが、一体どのような物なのか、順序立てて解説していきましょう。
まずは、「写真」です。
大前提として、写真はそれ単体としては証拠として成立しにくい物なのですが、証拠能力がない訳でもありません。
今回の動画の加藤のテーマは「証拠写真」なのだそうです。先に述べておきますが、元ネタの多くは、ドイツの修正主義者であるウド・ヴァレンディ(Udo Walendy)です。元ネタ論文も歴史修正主義研究会で翻訳紹介されています。もちろんですが、ヴァレンディは写真の専門家でも何でもありません。
確かに、写真は「それのみ」では証拠になりません。最低でも、いつ何処で何を撮った写真なのか、といったその写真に対する説明が必要です。しかし、ホロコーストでは実に多くの証拠写真が存在します。修正主義者からすると、どれもこれもどうにかして否定したいものばかりです。例えば…

ミゾッホ・ゲットーでの大量処刑後、まだ生きている女性を射殺するドイツ警察官(1942年10月14日)

まさに大量射殺を行っている風景の写真です。この写真についての説明は、こちらWikipediaをご覧ください。この手の、主にソ連で行われた現地射殺の写真はいくつかは見たことのある方もおられるかと思います。探せばネット上からでもホロコーストのこのような残虐な光景の写真はいくらでも見つかります。これらの本物のホロコーストの写真については、残念ながらこの動画では扱われていません。

ただ、これらの本物の残酷な写真は、衝撃が強すぎるのか、あまり紹介されることがないのかもしれません。有名な写真の一つである「ヴィニツァ最後のユダヤ人」を最初に見た時は、かなりショックを受けたことを覚えています。その最初に見たときは、その媒体では確か下の方に写っている多くの遺体はトリミングされていたように思います。

加藤は、「写真はそれ単体としては証拠として成立しにくい」と書いていますが、説明がないと何の写真かわからないとはいっても、これらの写真はほとんど写真単体で証拠になるくらいに証拠力が強いとさえ言い得るでしょう。なお、ヴァレンディはこれらの写真を捏造であるかのように語っていますが、現在ですら写真が修正されるのは当たり前に行われていることであり、修正されているから捏造であるだなんて言い出したら、無数の写真が捏造になってしまうでしょう。ヴァレンディはそもそもの写真の出所をほとんど問題にしておらず、見た目だけの印象で判断しているだけだったりします。

さて、これらのソ連でのホロコースト写真は多いのですが、絶滅収容所でのホロコーストの証拠になりそうな写真は逆にほとんどありません。その理由はソ連では多くのドイツ軍人がカメラを持っていたことや、親衛隊は絶滅収容所での写真撮影を厳禁としたことなどが挙げられますが、今回は詳しくは述べません。

今回の動画では残念ながらソ連での写真は言及されていません。

 

01:14/ベルゲン・ベルゼンの遺体写真

「では、あの死体の山は一体何なのだ!」

と加藤が述べて示される写真は、前にも紹介したベルゲン・ベルゼンの遺体写真です。今回は、モザイクなしで以下に示します。

ベルゲン・ベルゼンの大量遺体の写真は他にもいくつもあり、動画だってあります。前にも述べた通り、ホロコーストの象徴的な写真として使われることが多く、加藤はウド・ヴァレンディの主張をそのまま使って、アウシュヴィッツの写真として、「虚偽のキャプションがつけられて」紹介されていたと非難しています。

しかし、西ドイツの媒体がこのように紹介したのは、単純に「誤用」なだけであって、意図的なものではないでしょう(調べればすぐわかるんだから)。

では、実際、アウシュヴィッツではどのような状況だったのでしょうか? こちらの米国ホロコースト記念博物館のサイトが公開している、アウシュヴィッツ開放後の動画を確認してみてください。10:45くらいから多数の死体の写真が写っています。開放時には600体程度の遺体があったということですので、ベルゲン・ベルゼンが13,000体程度だそうですから桁違いに少ないとは言えますが、それでもこんな感じだったのです。

 

そもそも、ガス処刑の犠牲者は焼却炉その他の方法で完全に焼却され、証拠は一切残らなかったという設定なのですから、 逆に写真が残っているのは正史の立場からしてもおかしいのです。

しかし、上のように写真(動画)は残っていました。これらは修正主義者が求めてやまない「ガス処刑遺体」ではないかもしれませんが、ホロコースト、つまりナチスドイツによる犠牲者であることには違いはありません。

なお、ベルゲン・ベルゼンの大量遺体写真について、ウド・ヴァレンディでさえも、これらの遺体が、連合国の爆撃によるものだとしか言わない不誠実な加藤のようなことは述べていません。

しかし、実際には、こうした状況は、たとえば、戦線に近い収容所の疎開、その収容者が(愚かにも)この時期にヒムラーの命令で国内へ移送されたこと、[17]といった外的状況の結果であった。残りの収容所では、この措置の結果、全面的な過密状態となり、また、この時期に爆撃で死に絶えつつあった第三帝国のインフラの崩壊により、収容所への衛生、医療、食糧の供給ラインが途絶えたことが、収容所の恐ろしい状況を生み出した。

Udo Walendy: Do 'Documentary' Photographs Prove the National Socialist Persecution of the Jews?

 

02;31/アウシュヴィッツのゾンダーコマンドによる写真

正確に言えば、アウシュヴィッツの死体の山……とされる写真は二枚存在します。この二枚の出どころは同じですので「一件」と扱えます。

前項の通り、アウシュヴィッツの死体の山の写真は二枚どころではなかったのですが。

野外で死体を焼却している……という設定のようですが、そもそもそこからして正史の設定とは異なります。 正史に於いては、ガス処刑された死体は、全て焼却炉か、焼却壕で焼かれたことになっています。 このように、地面に無造作に置いて焼いてなどいないはずなのです。

以下の写真がそのように見えるのなら、「お前病気なんじゃないのか?」と思わず言ってしまいそうになります。

この写真をよく見て、地上に置いてある遺体のどれかが焼かれているように見えるでしょうか? 白い煙が上がっているのは地上に置かれている遺体のその向こうであり、普通に考えればそこに壕(ピット、トレンチ)が掘ってあって、そこから煙が出ていると解釈するはずだと思うのですが。煙で隠されてしまっているため、壕そのものは見えません。

加藤と似たようなことを言っていた日本の修正主義者を知っていますが、どうして日本の修正主義者たちはちゃんと写真を見ようとしないのかよくわかりません。

さて、この二枚の写真(実質的には最初の一枚目だけ)に対する加藤の捏造疑惑はもちろん、ウド・ヴァレンディやゲルマー・ルドルフら欧米の修正主義者たちの主張が元ネタで、それらについてはHolocaust Controversiesブログサイトがすでに論破していますのでそちらを読んでいただくのが早いと思います。こちらでは、私の方でこの写真の撮影経緯などについての解説を別サイトから探し出してその翻訳を追加しています。

note.com

基本的なことを言えば、修正主義者の主張はこの写真が意図的に創作された捏造写真だということですが、どうしてこんな不鮮明で直接的な殺害風景でもないような写真をわざわざ創作して捏造するのか、私には意味がわかりません。それだけでも修正主義者の主張には無理がありすぎると思うのですが……。私だったらこのような写真を見せられても「これだけでは何とも言えない、修正主義者が主張するチフスなどの疫病による死体を焼却しているだけだと言われればそれまでのように思うし」となると思います。

ところが、この写真は、証言や航空写真を組み合わせると、その証拠価値がガラッと変わります。証言は複数ありますが、いつも利用しているルドルフ・ヘスばかりなのも芸がないので、ゾンダー・コマンドの証言から引用しましょう。

ハンガリーからの輸送が到着していた時期、私たちは火葬場Ⅴで2交代で働きました。日勤は午前6時30分から午後6時30分まで、夜勤は午後6時30分から翌日の午前6時30分まででした。3ヶ月ほどそのような作業をしました。しかし、火葬場の効率が悪くなったため、火葬場Vの隣にピットを掘り、ハンガリー人を燃やすために使用しました。大きなピットが3つ、小さなピットが2つありました。遺体は、火葬場Vによって、第1、第2バンカーによって、ピットと同様の方法で焼かれました。火をつけたのはモールです。焼却ピットの中の灰は、バンカーの中と同じように搬出されました。特殊な杵で潰して、ソワ川に運びました。当初、火葬場の炉から出た灰は、特別に掘った溝に埋められました。しかしその後、ロシア軍が攻勢に出ると、ヘスは穴から灰を掘り出してソワ川に移すように命じました。

アウシュヴィッツの様々な議論(10):証人の宣誓供述書2:シュロモ・ドラゴン(シェロモ・ドラゴン、スラマ・ドラゴン)|蜻蛉

航空写真も数枚ありますが、Holocaust ContorversiesによってGIF動画化された写真が一番わかりやすいと思います。

Holocaust Controversies: Personal Movement in the Auschwitz-Birkenau Compound on 25 August 1944 Aerial Photographsより

航空写真が機密解除で公開されるようになったのは1970年代以降のようなので、証言はともかく、このような航空写真を意識して、ゾンダーコマンドの野外焼却作業風景の写真が捏造されたはずもありません。このように、複数の証拠が相互に裏付けあって、強固な証拠構造を形成しているのです。

加藤は、以下のような写真をあげて、各所についてウド・ヴァレンディやゲルマー・ルドルフの論述を使って捏造だと主張していますが、

うち、②〜④について論じていたウド・ヴァレンディも自身の説にそんなに自信はなかったようで、以下のように述べています。

おそらく、本物の火葬シーンを再現するために、遺体や作業員を追加することで、望ましい「真実」を後押ししたのだろう。しかし、この写真が本物であったとしても、何を示しているのだろうか? 映し出された死体はガス処刑の犠牲者のものなのか、それともチフスの流行によるものなのか。いずれにせよ、煙が地面に沿って壁になっているという事実は、火葬に高さがないことを示しており、航空写真には穴がないことを示している[41]。したがって、この写真は、チフスで死亡した収容者のシラミに侵された衣服を燃やしているだけなのかもしれない。

Udo Walendy: Do 'Documentary' Photographs Prove the National Socialist Persecution of the Jews?

なお、ヴァレンディですら「煙が地面に沿って壁になっているという事実は、火葬に高さがない」などと述べて、地面に掘られた焼却ピットから煙が上がっている事実を否定しているのは滑稽にも思えます。上の航空写真のGIF画像でもわかるようにはっきりとそこには焼却ピットが写っているわけですから。

①の、フェンスの支柱に対するゲルマー・ルドルフのクレームも、どう考えても強引すぎで、こんなボケボケの写真でよくそんなことが言えるなと、仮にそうだとしても、なぜ捏造主がそんな形状の異なった支柱をわざわざ用意して撮影するのか意味不明だとは思わなかったのでしょうか?

 

4:58/SWCによる捏造写真

このように、明らかに修正された写真は他 にもあります。
最も悪質なのは、1991年に「サイモン・ヴィーゼンタールセンター」 が公式サイトに掲載していた写真です。

として、加藤が例に挙げているのはこれもウド・ヴァレンディの論文からです。

で、ヴァレンディの論文にも示されているSWCのサイトに本当にそんな写真が掲載されていたのかどうかを調べたところ、Webアーカイブにあった同サイトの最も最古のアーカイブ版である1999年10月6日の版にありました。ちなみに加藤は「1991年」と誤って書いていますが、ヴァレンディは1999年とちゃんと書いています。

元の写真は、これはあのAuscwitz Albumに含まれている写真で、ヤド・ヴァシェムにあるものを以下に示します。

このように、確かにこの元写真には煙のようなものはありません。しかし、SWCが本当に捏造したのかどうかはわかりません。誤って、何かの媒体にあった写真をそのまま使った可能性もなくはないからですし、SWCのサイトも上記の通り出典を示していないので、どこの写真を使ったのかは不明です。ヴァレンディは「フォトショでやったんだ!」のように言ってますが、フォトショを使うまでもなく鉛筆手書きでもできそうなレベルです。ただし、確かにSWCは「背景に煙が見える」などとキャプションしているのは事実で、一目見てはっきりわかるほど不自然な煙なのに、いい加減すぎるとは思います。

しかし、この写真が撮られたと推定される時期、つまり1944年5月〜7月の時期は、ハンガリーユダヤ人の絶滅作戦が行われていた時期であり、この時期にビルケナウの火葬場がフル稼働していたのは疑いの余地はありません。

note.com

仮に、このハンガリー作戦を否定するとしても、火葬場があったことそれ自体を否定している修正主義者はいない(ビルケナウに火葬場があったのを知らなかったらしい元親衛隊員でアウシュヴィッツの副収容所に勤務していたらしいクリストファーゼンなる修正主義者はいますが)ので、もし仮にその煙が火葬場からの煙だとしても、何も不思議なことはありません。火葬場で遺体の火葬が行われていた、だけの話です。火葬場の煙突から煙が出ていたこと自体は、煙突上部に煤が見られる以下の写真からもわかります。

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0341.shtmlより(クレマトリウムⅡの南側大部分を北から見た、1943年夏に撮影されたと思われる写真)

しかし、それとは別にSWCがいい加減すぎるのは非難されて良いとは思います。サイトを訂正したのなら、こっそり削除しただけにせず、せめて説明を残すべきだったと思います。Webアーカイブを調べた限りでは、2001年2月には写真が煙のない写真に差し替えられており、2002年12月には写真は消されています。いずれも何の説明もありません。これでは少なくとも不誠実と言われても仕方ないでしょう。

 

06:12/屋根に重なっている囚人の書き込み、など

これらのCIAが「偽造」したとされる航空写真については、その可能性はないときっちり本物の航空写真専門家2名によって説明されています。

note.com

私自身も、上のリンク先にある通り、ネット上から入手した出来るだけ精細なデジタル画像を拡大して確認してみましたが、よくわかりませんでした。航空写真の詳細な分析は専門家に委ねるしかありませんので、その筋の有能な専門家とされるキャロル・ルーカスやネヴィン・ブライアントの説明を信じるのが最善でしょう。

これを言い出したのは、修正主義者の航空写真専門家とされていたジョン・ボールですが、ツンデル裁判では裁判長に証人として認められなかった実績がある人物です。これも、ゾンダーコマンドによる野外焼却風景の写真と同調、意味のわからない捏造案件です。仮にCIAがそんな書き込みを行ったとして何か意味があるのでしょうか? 少なくともジョン・ボールの指摘箇所は、もしそうだったとしても、その書き込み内容はガス処刑等の残虐行為とは全く関係がありません。一つは単に囚人が整列しているだけであり、もう一つは収容所内を行進しているだけです。

報告書を書いたブルギオニらの主張には、ジョン・ボールの指摘とは別に、誤った指摘があったのは事実らしいですが、流石に意味不明な書き込みをするほど変人ではないと思います。

 

07:49/戦後すぐのシアン化合物検査について

それは、1946年、ポーランドクラクフで のアウシュヴィッツ裁判に証拠として提出さ れた、髪の毛と、髪の毛の留め金と亜鉛メッ キの金属カバーです。
Expert Opinion of the Cracow Institute, 1945,
B. Bailer-Galanda
クラクフ法医学研究所の調査によれば、これらからシアンガスにさらされた反応が出た、 ということです。

この戦後すぐのクラクフ法医学研究所による報告は、以下で翻訳紹介しています。

note.com

加藤はこれについて、

  1. 髪の毛や金属カバーから検出されたシアンの痕跡は、害虫駆除作業によるものである。
  2. モルタルの検査結果がないのは、シアン成分が検出されなかったからであろう。

のように述べていますが、まず大事なことは、シアン化合物が検出された事は、ガス室でシアン化水素ガスによる処刑を行っていたことに矛盾していないという事実なのです。また髪の毛はともかくとして、火葬場の換気口の亜鉛製閉鎖版からの検出は、火葬場自体を害虫駆除する理由が不明であり(死体は火葬されて一緒にシラミも死んでしまうのに何故火葬場を害虫駆除するのか?)、害虫駆除したことを示す根拠もないので、加藤の言い分は通りません。

また、検出されなかったからモルタル分については報告されなかったとする加藤の主張も、報告には単に書いていないだけなので、モルタルについては不明であることがわかるだけです。加藤の言うように害虫駆除されているならば、むしろ検出されていて当然であるとも言えるので、検出されなかったかのように主張するのは、加藤の主張自身に矛盾しています。40年以上後に調査を行なったロイヒターもクラクフ法医学研究所も、モルタルからシアン化合物を検出しているのですから、戦後すぐの調査で検出しなかったと考えることもまた矛盾しています。加藤は本当に何も考えていません

 

10:21/ガス処刑された遺体、大量埋葬墓。

では、(1)ガス処刑された死体の痕跡は発見されたのでしょうか
これも、全く確認されていません。
正史が正しいとすれば発見されるはずの(2)大量埋葬地も発見されていません
これについては、1987年にエルサレムで 行われた「デムヤンユク裁判」の時に行われ たポーランド当局による調査が興味深いです。 正史では、トレブリンカには絶滅収容所とされるトレブリンカⅡと、そうではないトレブリンカIがあったとされています。
しかし、(3)調査によれば、大量虐殺が無かったとされる「I」の方で1万人規模の埋葬地が発見され、絶滅収容所とされる「II」の方 は、それよりもむしろ少ない2~4千人程度の埋葬地しか見つからなかったというのです。 正史によれば、この地には80万とも300万人とも言われる死体の埋葬地が無ければならないのに······です。

Bilatyn Glownej Komisji do Badania Zbrodni Hitlerowskich w Plosce, vol 26 (1975), pp.117-195.(註:これは実際にはトレブリンカ・ホロコースト(ノイマイアー)が加藤がネタ元にした参照先です)

駄目押しのように、 1999年10月、専門家チームが、(3)地中レーダーをつかってトレブリンカ「絶滅収容所」の地中を探索しました。
この装置は、65フィートの深さまで、物体 の存在や掘り起しによる地層の乱れを検知することができるのです。
そのデータによると、地中には地層の乱れが一切存在しなかったといいます。

(1)本当にガス処刑遺体は発見されていないのか?

ガス処刑遺体について私自身が知っていたのは、昔の対抗言論で言及されていたマイダネク収容所のソ連による解放後の報告書に記載されているというものでした。

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確かにこの報告書には「収容所の敷地内で一酸化炭素中毒の特徴的な症状を示す多数の死体が発見された」とは書いてありますが、この報告書は何度読んでも全体的に雑に書かれた報告書としてしか読めず、ガス処刑死体の発見もたったその一文のみであり、書かれている内容のどこまでを信用したら良いのかわかりません。というわけで、私自身はマイダネクでガス処刑死体があったというこの報告を信用していません

マイダネクのガス処刑については、今のところ私自身は得られている情報が少ないので、否定されるとは思っていませんが、どのように証明されるかまでは存じておりません。マイダネクのガス室については、マイダネク博物館の記事を以下に翻訳紹介しています。

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しかし、以下に示されているガス処刑に関する死体の報告は信頼性があるように思えます。死体の写真も添付されていて、クラスノダールでガス車が使われていた根拠も示されています。

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これを見て、「ガス処刑された死体の痕跡は発見され」ていないと主張するのはなかなか難しいと思われます。ただ、修正主義者のためにヒントを与えるつもりで言うのではありませんが、写真につけられている説明がなぜ英語なのか?、撮影者・報告者はソ連でありロシア語でないのは何故なのか? は確かに気にはなりますが、私には情報がないので何とも言えません。

しかし、今まさにガス処刑の最中である動画があり、ガス処刑遺体よりもガス処刑をやっていたことの説得力があると思います。

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(2)大量埋葬墓は本当に発見されていないのか?

ホロコーストの大量埋葬墓自体はいくらでもあります。閲覧注意ですが、以下には大量に写真が掲載されています。

Holocaust Controversies: Mass Graves and Dead Bodies

また、私が唯一知っている調査結果としては、2000年ごろに実施されたベウジェツの発掘調査があります。

アウシュヴィッツ以外の絶滅収容所を知る(6):ベウジェツ絶滅収容所の大量埋葬地の発掘調査|蜻蛉

 

さて、加藤がそこで参照したと判明しているトレブリンカ・ホロコースト(ノイマイアー)、のこのリンク先は歴史修正主義研究会によるものですが、そこに示されている原文リンクを辿ると、翻訳内容と大幅に異なっています。そこで、Webアーカイブから同リンクの最も古い版を参照したら、合ってました。ゲルマー・ルドルフ運営のvho.orgは何の注釈もなしに改訂版にすることがあるので、注意が必要だったりします。余談ですが、著者であるアーヌルフ・ノイマイアーは2000年に亡くなっているのですけど、亡くなった人の論文を勝手に書き換えて良いのでしょうか?しかもその著者名のままで。

で、加藤は労働収容所であったトレブリンカⅠで10,000体も死体が埋葬されていたのに、絶滅収容所のトレブリンカⅡでは「それよりもむしろ少ない2~4千人程度の埋葬地しか見つからなかったというのです。 正史によれば、この地には80万とも300万人とも言われる死体の埋葬地が無ければならないのに」などと書いてますが、加藤はまたしても自身が参照した記事をちゃんと読んでません

歴史修正主義研究会の翻訳の続きを読めば、

われわれが集めた情報によると、トレブリンカⅡの死体は、証拠を隠匿するために、掘り起こされて、焼却されたのではなく、ブク川の水位が上昇したときに、疫病の蔓延を防ぐために、掘り起こされて、焼却されたのである。トレブリンカⅠの大量埋葬地の10000名ほどの死体は、上昇した水位よりも上にあったので、掘り起こされもせず、焼却もされなかった。

と、トレブリンカⅡの埋葬死体が少なかった理由が書いてあるのです。これには流石に呆れて、変な溜め息が出ました。

 

(3)修正主義者によるトレブリンカの地中探査

GPR地中レーダーの測定装置はこんな感じです。

https://www.sensoft.ca/ja/blog/what-is-gpr/より

この件は、以下に解説があります。

note.com

地中調査を行なったリチャード・クレゲは報告書を出していないので、それで尽きているのですが、クレゲの調査結果画像として拡散されてきたこれが、

GPRの専門家によると、こうなのですから、これもまた呆れるしかありません。

ホームページを拝見し、送っていただいた画像も拝見しました。これは、彼の「グリッド」のほんの一部に過ぎません。この画像は、彼が200MHzのアンテナを使い、巨大なグリッドの中で約1m間隔のトランセクトを集めているところです。その画像は加工されておらず、5mほどの長さの部分が一列に並んでいるだけのものです。また、その横断面でも、右側の地面に「物」がたくさんあるように見えますが、これは集団墓地と見て間違いないでしょう。

Twitterホロコースト否定論への反論(27):科学がホロコーストを論破?|蜻蛉

 

11:50/ビルケナウのピット跡の地中調査
1966年、アウシュヴィッツ国立博物館ポーランドの会社に、アウシュヴィッツ・ビ ルケナウの土壌を掘り起こして、サンプルを分析するように委託しました。
ところが、その結果は何故か公表されませんでした。

これは、Nizkor記事にあるものです。

「1965年、クラクフに本拠を置く化学採掘企業ハイドロコップは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館から、焼却坑と火葬場の位置を決定することを目的とした、ビルケナウでの地質学的テストの実施を依頼された。ハイドロコップの専門家たちは、深さ3mの穴を303個あけた。人間の灰、骨、毛髪の痕跡が42カ所で発見された。すべての穴の記録とその分布図は、博物館の保存部に保存されている。」(フランチシェク・ピーパー『アウシュヴィッツ死の収容所の解剖』p.179n)。

どうやら、ネット上にはこれしか情報はありません。ピーパー博士のこの本に載ってはいるようですが、この書き方からしてこの程度の情報しか載ってなさそうです。ゲルマー・ルドルフはこの件に関し、「採取された骨や毛髪のサンプルが、人間のものなのか動物のものなのかさえ明らかではない」などと言っていますが、上の通りNizkor記事では「人間」と書いてあります。ルドルフは、ウド・ヴァレンディが入手した情報をヴァレンディ自身の定期公刊誌で公開した、と書いていますが、その公開情報自体はネット上には見当たりません。

この調査は時期的に、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判のために実施されたのではないかとも考えられますが、はっきりしません。加藤は、如何にも疑惑があるかの如くに公表されないのは不味いからだとか言ってますが、アウシュヴィッツ博物館に行けば割と普通に見せてもらえるように思えます。そういうことは、博物館に行って確かめてから言え、と思います。また、同様の調査をその後行っていないのは怪しいかのようにも言っていますが、アウシュヴィッツ博物館はクラクフ法医学研究所にも調査を依頼してやらせていますし、

note.com

ハリー・W・マザールらによるチクロンホールの調査にも当然協力しています。

note.com

今回は短くて済みましたが、手間は相変わらずですね。というわけで、この論破シリーズも残すところあと一回かな。非常に馬鹿馬鹿しくて、それ以上はやる気がありません(笑)

 

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