ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

ホロコースト否定論(否認論)を徹底的に検証するブログ

チクロンBと否定論

アウシュヴィッツ収容所で用いられた毒ガス

ホロコーストの象徴ともなっているアウシュヴィッツ収容所では、ガス室で概ね90万人くらいが殺されたと言われています。アウシュヴィッツ収容所の犠牲者総数は現在の定説では約110万人ですから、おおよそ犠牲者の8割程度がガス室で殺されたことになります。この犠牲者総数はユダヤ人だけではないのですが、ほとんどがユダヤ人(96万人)ではあります。この数値は、アウシュヴィッツ博物館の歴史部門の責任者をしていた、フランシスチェク・ピーパー(Franciszek Piper)博士の研究によるものであり、ナチス親衛隊はアウシュヴィッツ収容所の犠牲者総数に関する資料を一切残していません(死亡者の記録ならば一部は残っていますが、処刑したとか殺したとかは書かれていません)。

さて、今回はアウシュヴィッツ収容所で用いられた毒ガスに関することだけ語ることとしていますが、その前に、アウシュヴィッツ収容所を知るだけでも結構大変なことだということを知っておいてほしいと思います。多分ですけど、一冊でアウシュヴィッツ収容所の全貌がわかるような書籍は存在していないと思います。ただ、もしホロコーストの否定論に関する議論をしようとでも思うのであれば、下記資料は是非一度は目を通してほしいところです。

holocaust.hatenadiary.com

 

この資料の15ページ目から、アウシュヴィッツで用いられた毒ガスの発生源であるチクロンBの解説があります。ザイクロンBとかツィクロンBなどとも日本語では表記するようです。

まず覚えておいてほしいのは、よくある誤解として、ナチスドイツはユダヤ人絶滅をチクロンBだけで行ったのではない、ということです。ユダヤ人絶滅はアウシュヴィッツ収容所だけで行われたと思っている人だって珍しくありません。アウシュヴィッツ収容所でさえも、ユダヤ人絶滅の主たる現場はアウシュヴィッツ第二収容所となるビルケナウ収容所で行われており、主収容所である第一収容所はユダヤ人絶滅の主たる現場ではありません。

さらに、チクロンBから発生する青酸ガス(シアン化水素ガス)よりも、アウシュヴィッツ以外の絶滅収容所や移動式ガス室であるガス車で用いられたガソリンエンジンからの排ガスの主成分である一酸化炭素ガスで殺されたユダヤ人の方が多いのです。またその他にも銃殺などもありますし、ゲットーや終戦間際の収容所における悲惨な衛生状態での疫病や餓死による死者もホロコーストには含まれます。従って、チクロンBの犠牲者は600万人の犠牲者のうち概ね6分の1程度だということになります。

 


さて、毒ガスである青酸ガスを発生させる方法は、アウシュヴィッツ収容所では写真のような缶の中に入っているペレット(珪藻土や石膏に液体のシアン化水素を含ませたもの)状の物質が用いられました。これがチクロンBです。製造工場・販売会社からはこのような缶の状態でそれが使用される現場などへ運ばれることになります。サイズは色々あったようです。

チクロンBの本来の目的は、害虫及び害獣駆除にあります。少々余談ですが、実はあまり知られていませんが、ドイツでチクロンBが登場した時期から少し遅れて、日本にもこれとそっくりな製品がありました。その名をサイロームと呼びます。

缶に入っていることや、珪藻土に液体シアン化水素を含ませてあることなど、同じ製品と言ってもいいくらいそっくりです。もしかして日本はチクロンBのアイデアをパクったのかもしれませんね。

ともかくこれも同様に害獣・害虫駆除剤でした。青酸を使った害獣・害虫駆除作業自体はずっと以前から行われていたのですが、その方法はシアン化カリウムやシアン化ナトリウムを硫酸と反応させて青酸ガスを発生させるというもので、硫酸は取り扱いの難しい劇物ですから、使い勝手が悪かったのです。そこで簡便に取り扱えるよう、作業現場で缶を開けるだけで青酸ガスを使えるようにしたのです。これは液体シアン化水素の沸点が低い(ほとんど常温である25.6度)ことと、揮発性が高い性質があるからです。揮発性を示す平衡蒸気圧はアルコールよりも高いのです。ただし、シアン化水素は水に溶解すると、水と親和性が高い為、ほとんど蒸発しなくなります。これをわかっていない人が結構いて、アウシュヴィッツガス室は下水配管と繋がっているから、そんなところで青酸ガスを使ったら収容所全体が危険になると主張する人がいます。そんなことはあり得ないということを覚えておいてほしいのです。そんな無茶苦茶を言ったのはロイヒターです。

害獣・害虫駆除剤としての使い方は前述した資料リンクを読んでいただくとして、具体的にアウシュヴィッツの殺人ガス室ではどのように使われていたかについては、以下の動画が割りと正確な再現になっているようです。

www.youtube.com

この動画ではガス室の天井の小煙突からチクロンのペレットを注ぎ込んでいますが、もうちょっと細かい話をすると、この動画で再現されているのはビルケナウにあった四つの火葬場にあったガス室のうちの二箇所、火葬場2または火葬場3になります。そしてこの小煙突の内側からガス室内にかけて、金網導入装置と呼ばれる特殊なチクロン導入用の装置があり、金網導入装置の内側にあるチクロン導入用バスケットの中にチクロンを投入していたのです。金網導入装置を利用したのには理由がありますが、ここでは詳しい説明を省きますが、ガス室内の犠牲者が全員死んだら、そのバスケットごとチクロンをガス室内から外に出していたのです。チクロンから青酸ガスは数時間放出され続けるので、ガス室内の死体搬出処理作業の邪魔になるからです。

否定派はチクロンB /青酸ガスの何を分かっていないのか?

一酸化炭素ガスによる殺人について、文句を言う人はそんなにいないと思います。ここではその詳細は説明しませんが、一酸化炭素ガスによる処刑について否定派が文句を言っているのは、それがディーゼルエンジンからの排ガスとされたこと(実はそうではなくガソリンエンジンでした)くらいなものです。米国の死刑コンサルタントの商売をしていたフレッド・ロイヒターは、死刑コンサルタントのくせして一酸化炭素が人を簡単に殺す毒ガスであることを理解していなかったようですが、一般的には火事の死者の多くが実際には一酸化炭素ガス中毒によるものであることはよく知られています。一酸化炭素ガスは単に不完全燃焼によって発生するものであり、それほど特殊なガスではない程度には知られている為、それを殺人に用いること自体には文句を言わないのでしょう。

ところが、青酸ガスの場合は、一酸化炭素ガスへの態度とは打って変わって、それこそ否定派はありとあらゆる文句を言います。私はそれは単に、得体の知れない珍しい物質に対する無知から来るものだと思っているのですが、とにかく青酸ガスはとんでもない猛毒物質であり、かつ極めて危険な物質であるから、アウシュヴィッツガス室とされるような貧弱な構造の場所で使えたわけがない、のように主張されます。

青酸ガス(シアン化水素ガス)の人体への毒性作用

こちらの資料によると、

HCNは全身性毒物である。毒性は、チトクロームオキシダーゼ阻害によるもので、この作用により細胞の酸素利用が阻害される。脳細胞における電子伝達の最終段階が阻害されて、 意識消失や呼吸停止が起こり、最終的に死に至る。頸動脈小体および大動脈小体の化学受容器が刺激されて、短時間の過呼吸が起こり、不整脈も起こることがある。シアン化物の生化学的作用機序は、すべての哺乳動物で共通する。HCNは、チオ硫酸塩からシアン化物 へのイオウの転移を触媒する酵素であるロダネーゼによって代謝されて、比較的毒性の低いチオシアン酸塩になる。

だそうです。これに対し、一酸化炭素中毒は血中で体内へ酸素を運ぶためのヘモグロビンが一酸化炭素と結合してしまう為に起こる呼吸障害ですが、酸素利用を阻害すると言う意味では同じ作用のようにも思えます。しかし私は専門家ではありませんので、似たようなもんだなどのように軽口は叩かないこととします。

確かに、青酸ガスは猛毒です。一酸化炭素ガスの致死濃度は一般に1,000ppm程度だとされますが、青酸ガスはその1/3未満となる300ppm程度とされます(そんなに変わらない気もしますが…)。しかし、下記の絵でさえ「あり得ない!」とされると、私は非常に疑問を感じます。

アウシュヴィッツの火葬場で働かされていた元囚人(ゾンダーコマンド)のフランス人画家、ダヴィッド・オレールが描いた、ガス室から犠牲者を運び出す作業のイメージ図ですが、この絵に対する否定派の文句には色々あるのですが、ある否定派は「素手で死体に触るなどあり得ない!」と主張するのです。どういうことかと言うと、死体の表面には青酸成分が付着しているからだ、と言うのです。細かく言うと、人間の皮膚表面は汗で湿っているはずだから、シアン成分は水に溶けやすいのだからその汗に溶けて存在しているはずであり、そんな死体に素手で触れたら、作業者は皮膚呼吸によってシアン成分に侵されてしまい、死んでしまうはずだ!、のような主張らしいです。

私は、皮膚呼吸自体は否定しません。確かに、シアン化水素が皮膚呼吸を通じて体内に浸透することに対しても毒性はあることは調べて確かめております。液体のシアン化水素が100mg、皮膚から体内に浸透すると死に至るそうです。そう言われたら、否定派の主張もそれなりに正しいかのように思えてくるかも知れません。

しかし。

私はそれをきちんと計算した人を見たことがありません。では一体、オレールの絵のように死体を運ぶ時、一体何体の遺体を運んだら致死量である100mgの青酸成分を体内に入れることになるのでしょうか? …ところがどうやら、そうした危険性を主張する否定派は、致死量のことなどまるで考えておらず、青酸成分であることそれ自体のみで危険性を主張しているようなのです。それは例えば、前述資料の中にあるコンクの絵を見てもわかります。

ガス室の外に青酸ガスが漏れ出すので、それでは外にいる親衛隊員ですら死んでしまうというわけです。この絵には雲のようなイメージがいくつか書かれていますが、それが青酸ガスだということなのでしょう。こうした主張を行う否定派の青酸ガスに対する印象が極めて貧弱であることがわかります。あまりに幼稚で無知すぎると言っていいかも知れません。

青酸ガスの濃度と人体への影響

実際の青酸ガスに対する人体への影響に関しては、否定派の主張するような青酸ガスがただ単純に存在するだけで危険であるようなことはありません。国立医薬品衛生研究所(NIHS)の示す資料によると、例えば「1 ppmのHCNに8時間曝露した場合、一般集団の健康に有害な影響がないことが示されている」や「8 ppmの1時間曝露では、健康な成人に軽度の頭痛以外の症状は起こらない」、「職場環境の無影響濃度は5 ppmである」などが書かれています。単純に言えば、低濃度であれば、青酸ガス暴露環境であっても健康への悪影響すらないのです。以下に当該資料冒頭に記された表の画像を示します。

  • AEGL-1 は、いわゆる「不快レベル」で、感受性の高いヒトも含めた公衆に著しい不快感や、兆候や症状の有無にかかわらない可逆的影響を増大させる空気中濃度閾値である。これらの影響は、身体の障害にはならず一時的で曝露の中止により回復する。
  • AEGL-2 は、いわゆる「障害レベル」で、公衆に避難能力の欠如や不可逆的あるいは重篤な長期影響の増大が生ずる空気中濃度閾値である。
  • AEGL-3 は、いわゆる「致死レベル」で、公衆の生命が脅かされる健康影響、すなわち死亡の増加が生ずる空気中濃度閾値である。

ただし、留意すべき事があります。それは、青酸ガスに対する致死量など、その閾値は一つではない事です。どういうことかというと、例えば上表では10分間、27ppmの青酸ガスにさらされると死に至ることになりますが、別の指標では270〜300ppmで即死とするものがあったり、あるいはまた一分間の2000ppmの暴露で半数の人が死亡するとする指標もあります。このように、指標がバラバラなのは、基本的に人を使用して実験するわけにはいかないからです。代替的に別の動物を用いたり、経験的な事例から指標を定めていると考えられます。

何にしても、濃度あるいは量的な考慮なしに、青酸ガスの危険性を主張するのはナンセンスだとしか言いようがありません。

青酸ガスの物理的特性

フランス人の否定派代表であるロベール・フォーリソンは、青酸ガスは引火性があるから火葬場のすぐそばにあるようなガス室があり得たわけがない、と主張したようです。彼は本当に科学的知性というものがありません。青酸ガスの爆発下限濃度は56,000ppmと極めて高濃度なのです。チクロンBを処刑に必要な量よりもはるかに大量にガス室に投入すればそのような濃度に達するかも知れませんが、あまりに非現実的です。しかももしそんな危険性を考慮しなければならないのならば、いろんな場所で害虫駆除剤として使えたはずのチクロンBは、実際には使えなかったことにすらなってしまうでしょう。

また、フォーリソンは、アウシュヴィッツ主収容所の火葬場/ガス室は、病院のすぐそばにあるから、換気したら患者を殺してしまうとさえ主張しました。これも既に述べた通り、量的考慮を全く欠くナンセンスな主張なのですが、距離はおよそ20メートルでした。青酸ガスは強力な致死性ガスであるにも関わらず、毒ガス兵器としてはほとんど使われなかった理由を考えてみれば、それが全く危険でない事がわかります。青酸ガスは空気よりも若干軽いからです。つまり、ガス室を換気して外部に放出された青酸ガスは、大気中にすぐに拡散し、環境中に滞留することはないので、暴露影響もないのです。

ロイヒター・レポートやより高度な青酸ガスに関する論争

上記のような否定派による難癖は、無知であっても少しネットを調べれば割と簡単にわかるような話でしかありません。しかし、ネットを調べてもなかなかわからないような青酸ガスに関する議論もあります。それがロイヒター・レポートに始まる少々高度な議論です。ロイヒター・レポートについては、私自身でレポートを翻訳し解説も付け加えたものが以下にあります。

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これらの高度な議論については、否定派側の主役はロイヒターではなく、ゲルマー・ルドルフになります。彼はロイヒターのような雇われ修正主義者ではなく、本格的な修正主義者であり、本をいくつも書いており、キャッスルヒル出版なる修正主義の本ばかりを出版する出版社の経営者でもあります。何よりも彼は、ドイツの名門研究所であるマックスプランク研究所の出身の化学者でもあります。彼は元々はドイツの極右組織の出版部門で働いていた編集者だったらしいです。

ルドルフは一応は、実態が単なる詐欺師のロイヒターとは違って、化学者として従事していた人ですから、それなりに化学の知見があり、一見して非常に高度な議論をします。キャッスルヒル出版からもロイヒター・レポートは販売されていますが、キャッスルヒル版にはルドルフによる細かい注釈がつけられており、その注釈の半分くらいはロイヒターの間違いに費やされている程です。修正主義者の化学者代表としてはそうした誤りを見過ごせないプライドがあるからなのでしょう。

さて、ルドルフに対抗するほどの高度な議論になると、このブログでは少々説明が難しくなりますので、以下の記事を参考にしてください。

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うち、クラクフ報告についてはいずれ新たに、ロイヒター・レポートとの比較という観点で記事を起こす考えはあります。

今回は以上です。