ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

ホロコースト否定論(否認論)を徹底的に検証するブログ

故・加藤一郎氏によるクラクフ報告への批判、への反論

加藤一郎って誰?

一般に知られている日本人で有名なホロコースト否定論者はマルコポーロ事件で知られる西岡昌紀氏ですが、ネット上で使用されるホロコースト否定論の内容の多くは、加藤一郎氏によるサイトのものです。そのサイトは歴史修正主義研究会と言います。当該サイトに掲載されている記事・論文のほとんどは、欧米の歴史修正主義者による記事・論文の日本語訳です。翻訳記事・論文がいくつあるかは数えていませんが、翻訳公開順に並べてあり、これだけの量を翻訳して公開するのに5年と9ヶ月の期間がかけられたようです。私自身はホロコース否定論に興味を持ってまだ3年程度ですから、まだまだ修行が必要かもしれません。

さて、加藤一郎とは誰なのかについては、私自身はネットで得られる情報以上には知りません。文教大学教育学部の教授だった人で、おそらく2009年ごろに亡くなられているようです。文教大学の紀要論文集に以下の記事が載っているからです。

cir.nii.ac.jp

CiNiiで「文教大学 加藤一郎」で検索をかけてみると、最初はスラブ民族史の研究を細々とやっておられたようですが、なぜか1996年頃に東京裁判史観なるテーマに興味を持ち、そこからニュルンベルク裁判に関心が移って、そしてホロコースト否定論へと流れていったようです。

従って、教育学部教授ではありますが、一応は歴史学者さんのようです。しかし、歴史学者でかつホロコースト否定論者って、おそらく世界的にもかなり珍しい存在ではないかと思われます。大学教授でホロコースト否定論者と言えば、フランスのリヨン大学文学部教授だったロベール・フォーリソンや、大学名忘れたけど米国のアーサー・バッツ(電子工学科教授)など、他にも何人かいたはずですが、歴史学者は聞いたことがありません。私が知らないだけでいるのかもしれませんが。

日本の大学教授で唯一のホロコースト否定派であることはおそらく間違いありません。しかしホロコースト否定がかなりヤバめの世界であることは常識的に認知されているはずで、文教大学は加藤一郎に文句言わなかったのだろうか?と非常にその辺が不可解です。文教大学の発行物である大学紀要にホロコースト否定論文を載せているのですから、文教大学は一体何を考えているの?と思わざるを得ません。なお、加藤一郎氏の論文は、文教大学の紀要と文教大学関連の発行物以外に確認できません

ところで歴史修正主義研究会はそうは名乗っているものの、加藤一郎氏以外のメンバーは一人も確認できません。従って、翻訳者も執筆者も加藤一郎氏以外にいたとはちょっと思えません。ただ、サイトはさくらインターネットのサーバーを使っていることはわかっていますが、本人が亡くなっているのにその本人の名前でずっと維持されています。一年更新で年額1700円程度払えば維持できるようですが、ということは加藤一郎氏の関係者の誰かが毎年年額を支払続けて維持していると推測できます。

また微かな記憶なのですが、ネット上で誰かが文教大学での加藤一郎の授業を受けた感想を述べていたのを読んだ記憶があるのです。しかし、その情報を再度見つけることはできていません。確か、Togetterまとめのどこかにあったように思うのですが…。加藤一郎氏の情報としては、他に分かっていることは昭和24年生まれで岐阜県出身であることくらいです。ですから、60歳くらいの若さでお亡くなりになられていることになります。

歴史修正主義研究会版のクラクフ報告翻訳物の脚注への反論

前回の記事で「歴史修正主義研究会の主宰だった文教大学教育学部教授であった故・加藤一郎による、クラクフ報告への批判」への反論というのを一つだけやっているのですが、その加藤一郎氏の批判があるのが以下です。

revisionist.jp

その翻訳文中に合計34個もの加藤による脚注が付加されています。当然ですが、元論文にはそんなものはありません。加藤が勝手に付け加えているのです。また、加藤はクラクフ法医学研究所が1990年に事前調査的に実施した予備報告を誰かが流出させて修正主義者側が公表したものを、これまた勝手に付け加えています。予備報告の公表はもちろん調査を依頼したアウシュヴィッツ博物館に無許可で行われています。

さてそれでは、加藤からの批判となっている脚注を逐次論評していきたいと思います。

 

[1] ロイヒター報告がホロコースト正史派にとっていかに衝撃的であったかと同時に、半世紀近くにわたって、アウシュヴィッツの法医学的検証がまったくなされてこなかったことを示している。<後略>

アウシュヴィッツの法医学的検証がまったくなされてこなかった」とありますが、されています。

note.com

定量的検査はされていませんが、アウシュヴィッツに残されていた毛髪類とビルケナウ火葬場にあった換気扇の金属製パーツから定性的にシアン成分を検出しています。修正主義者からの反論はもちろんそれらは「害虫駆除」によるものだと言っています。髪の毛は百歩譲ってその可能性があるとしても、第2火葬場で発見された換気扇の金属製パーツにシアン成分が検出された事実に対し、第2火葬場が害虫駆除されたからだ、というのは意味がわかりません。火葬場が害虫駆除される理由がないからです。そうではなく、この調査結果事実は、そこにガス室があったとする証言証拠や文書証拠に矛盾していないことが肝心だと思うのですが。

 

[2] チクロンBを使った害虫駆除室のサンプルからは、「ガス室」のサンプルの最大20倍のシアン化水素化合物の残余物が検出されたということ。

[3] 「殺人ガス室」の5つのサンプルのうち、1つしかシアン化水素化合物の残余物が検出されず、しかも、その数値は害虫駆除室の最大の数値の20分の1にしかなっていないということになる。分析方法と数値は異なるが、クラクフ報告のここまでの分析結果は、害虫駆除室では高い濃度のシアン化合物の残余物が検出され、「殺人ガス室」では低い濃度(もしくは0)のシアン化合物の残余物しか検出されなかったとする、ロイヒター報告、ルドルフ報告の分析結果と一致している

大事なことは、ここで述べられている調査結果は、本報告ではなく公表されていない予備報告だということです。これを修正主義者らは「不味い結果が出たから隠したのであろう」とのニュアンスで主張するのですが、この予備報告と本報告は明確に異なる重要な部分があります。一つはこの予備報告の調査結果の単位は「micrograms per 100 grams of material」つまり「mg/100g」となっていて、ロイヒターやルドルフの調査結果単位である「mg/kg」よりも10倍検査精度が低く、クラクフの本報告では「μg/kg」であり、単位から言えば本報告の一万分の1しか精度がないのです。ロイヒター報告では、微量でもシアン成分を検出してはいるので、この予備報告では検査精度が不十分だということがわかります。もう一つは、本報告では分析値から除外されているプルシアンブルーが予備報告では除外されていないということです。本報告では明確に「構成されるシアノ鉄錯体(これが議論になっている青である)の分解を誘発しない方法を用い」とあります。この二つの重要な要素を理解していないから加藤は次のような無理解なことを主張するのです。

 

[4] クラクフ報告は、シアン化合物の残余物は、風雨にさらされることによって消滅すると断定することで、分析結果からでてくる結論、すなわち、「殺人ガス室」ではチクロンBが使用されなかった、したがってガス処刑は行なわれなかったという、ロイヒター、ルドルフの結論を何とか回避しようとしている。しかし、シアン化合物の残余物はきわめて安定している。風雨にさらされていたはずの害虫駆除室の外壁には、50年経った今でも、プロシアン・ブルーの青いしみが残っている。また、「殺人ガス室」の壁すべてが風雨にさらさられているわけではない。たとえば、アウシュヴィッツ中央収容所焼却棟1の死体安置室の壁は、風雨にさらされてこなかったし、ビルケナウの焼却棟の「ガス室」の壁にしても、崩壊したコンクリートの天井で守られている。

重要なことは、プルシアンブルーは非プルシアンブルーのシアン成分とは異なって、長期的に安定して存在し得る化合物であることです。日本語ウィキペディアにも

「紺青はその組成にCN−イオンを含む物質ではあるが、ヘキサシアニド鉄(II)酸塩[注釈 12] とヘキサシアニド鉄(III)塩[注釈 13] 同様に難分解性シアノ錯体とも呼ばれ、CN− イオンは強く鉄原子と結合しているため遊離しにくく、通常は生体に対してのシアン化合物としての毒性はない。しかし、熱やアルカリには弱くシアン化合物を遊離する。」

とあるとおりです。そして加藤は何故か、クラクフ報告の最後の方にある「表Ⅶ. 漆喰のなかのシアン化合物イオンの濃度に対する水の影響の結果」の項を無視して脚注も付けていません。しかしそこでマルキエヴィッチらは、非プルシアンブルーのシアン成分が水に流出しやすいことを実験できちんと確かめています。「したがって、水がシアン化合物を流しだす量はかなり多い。」とある通りです。普通に読めばはっきりわかる箇所なので、加藤は意図的に無視して脚注をつけなかったと断ぜさるを得ません。持論に合わないので無視するしかなかったのでしょう。

そして何より大事なことは、それでもクラクフ報告では、ロイヒターらの調査結果よりさらに微量ではあるが、分析感度を300倍にすることで、風雨に晒されていたとされるアウシュヴィッツ・ビルケナウのガス室遺跡からシアン成分を検出しているという事実です。事実は、シアン成分は長年の風雨でさえも消滅していなかったのです。加藤はまるで何も理解していません。

 

[5] 問題がすりかえられている。<後略>

これについては前回の記事で既に述べています。

 

[6] 報告の序文にあたるこの箇所は、歴史的修正主義がヒトラー体制を取り繕おうとしているとか、その残虐行為に疑問を呈していると政治的に非難することからはじめており、学術報告の序文としては、きわめて異例かつ異質である。これは、報告の意図が、科学的=化学的真実の探求ではなく、政治的な目的の追求にあることを示している。
[7] この箇所も、根拠を示してない断定であり、学術的な化学論文にはふさわしくない。

クラクフ報告の本論には無関係な冒頭の文章を批判することこそ、「科学的=化学的真実の探求では」ないとしか思えません。そして本論の内容に先立って「政治的な目的の追求にあることを示している」と評することは明らかな印象操作に他ならず、わざわざクラクフ報告を読むのに「政治的な目的の追求にあるのだから信用してはならない」と、バイアス眼鏡をかけさせているようなものです。そのような態度に客観性があるとは言えないことは自明でしょう。また、歴史資料の歪曲や事実の否定に関して、クラクフ報告が述べているそれらの事実が何を指しているのかは不明ですが、ホロコースト否定派が1988年以前から正史側からそのように見なされてきたことも常識の範囲の話です。加藤が自身のサイトで論評している日本の正史派がそのような趣旨のことを述べていることを知らないわけがありません。いずれにしてもこのクラクフ報告は以下の学術的な専門雑誌としか考えられないポーランドの法医学専門雑誌に掲載されたものであり、加藤がどう言おうがその専門雑誌に載る程度には学術的な化学論文であることは間違いありません。

mostwiedzy.pl

 

[8] ちなみに、ロイヒター報告では、「殺人ガス室」の一部ではなかったはずの焼却棟1の洗浄室――今日の焼却棟Ⅰでは、隔壁が間違って取り除かれて、「殺人ガス室」として展示されているが――のサンプルからも微量のシアン化合物の残余物が検出されている。収容所の建物は、チクロンBを使った燻蒸消毒を受けており、どの建物でも、微量のシアン化合物の残余物が検出される可能性がある。

 

1941年9月時の「焼却棟Ⅰ(第1火葬場)」は下記の図面の通りです。

 

私は、しばしば修正主義者はガス室のドアを開けたら青酸ガスが漏れ出して大変危険である、のような話を何度も見たことがあるのですが、洗浄室はご覧の通りガス室のすぐ隣であり、そこにはガス気密扉がありました(加藤が「隔壁が間違って取り除かれて」と言っている隔壁とはガス室と洗浄室の境界にある壁のことで、そこにはガス気密扉がありました)。しかし、ここでは加藤は、あたかも絶対に隣の部屋には青酸ガスは漏れ出すことはあり得なかったかのように述べています。私は換気のためにガス気密ドアは解放されなければならなかったと考えますが、もしそうならば、隣の洗浄室の壁面からもシアン成分が検出されてもおかしくはないことになると思います。違うのでしょうか? 私はここでロイヒター調査で検出されたそのシアン成分濃度が、ガス室から漏れ出したガスによるものであるに違いない、と言っているのではありません。そうではなく、その可能性は否定できないと言っているのです。なんたって、真隣の部屋ですからね。

加藤は「収容所の建物は、チクロンBを使った燻蒸消毒を受けており」と言っていますが、火葬場建物を害虫駆除すべき理由は何なのでしょうか? 住居棟バラックは囚人たちの生活区域ですから害虫駆除されて当然であるとは思いますが、火葬場を害虫駆除する理由がわかりません。確かに死体は置かれますが、それら死体は焼却処分されるので、死体についたシラミも一緒に焼却駆除されてしまいます。

ところで、ロイヒターのその値はゲルマー・ルドルフは害虫駆除によるものではなく、分析限界付近の値はバックグラウンドレベルで検出されてしまうものであって、シアンの痕跡を意味するわけではないとしています。修正主義者たちは意見が一致しないので困り物ですね。

また、クラクフ報告では、その燻蒸が行われたはずである居住棟の試料からは8つのサンプル全てでシアン成分は検出されませんでした。加藤は何故かそのことに一言も言及していません。これもまた「持論に合わないので無視するしかなかったのでしょう」か?

 

[9] ここでも、クラクフ報告は、害虫駆除室では高い濃度のシアン化合物が検出されたというロイヒターやルドルフの分析結果を否定していない。しかし、ここから、「殺人ガス室」の残余物が少ないことの言い訳が続く。

[10] 風雨によって流されてしまった説。しかし、この説には、壁の中に生成されたシアン化合物が風雨にさらされることによって消滅してしまうことを化学的に証明しなくてはならない。この説に反する事例は、大量に実在している。ビルケナウの焼却棟ⅡとⅢの廃墟から300メートルほど離れた地点に、BW5bの害虫駆除ガス室の2つの外壁(北と南)があり、そこには大量のプロシアン・ブルーのしみが残っている。外壁であるから、半世紀以上も風雨にさらされていたはずであるが、なぜ、大量の青いしみが残っているのであろうか。

前述した通り、シアン成分はプルシアンブルーと非プルシアンブルーに区別されるからです。自分で作った模式的なだけのグラフを使いまわしますが、以下のように説明されます。このような簡単な事象については、ゲルマー・ルドルフでさえも認めています。

プルシアンブルーは風雨に強いが、非プルシアンブルーはそうではないのです。そして加藤は「シアン化合物が風雨にさらされることによって消滅してしまうことを化学的に証明しなくてはならない」と書いていますが、それは加藤が無視している「表Ⅶ. 漆喰のなかのシアン化合物イオンの濃度に対する水の影響の結果」にあるわけです。何故自分で「したがって、水がシアン化合物を流しだす量はかなり多い。」と訳しながら、そこを完全に無視するのか私には全く理解できません。また実際に消滅しているわけではなかったこともそこには書いてあります。肝心なことは、風雨にさらされていても非プルシアンブルーのシアン成分を検出したことなのです。

 

[11] ガス処刑短時間説。しかし、ガス処刑は連続的に、ベルト・コンベアー的に、しかも、1年以上にわたって行なわれたのではなかったのか。

クラクフ報告にある「さらに、害虫駆除時間は、各衣服グループに対して比較的長く、約24時間であり、これに対して、ガス室でのチクロンBによる処刑は、アウシュヴィッツ所長ヘスの陳述(7)やゼーン(6)のデータによれば、わずか20分ほどであったことが知られている」への加藤の批判ですが、クラクフ報告自体のその脚注では文献名が記されているだけで、その内容が不明です。が、少なくともヘスの自伝には書いてあります。

 つづいて、ドアが手早くネジ締めされ、待ちかまえている消毒員が、すぐガス室の天井にあけた投入孔から、床までとどく空気穴の中に、ガスを投入する。これが、即座にガスを発生させる働きをする。ドアの覗き穴から観察していると、投入孔のすぐ そばに立っている者がたちまち死んで倒れるのが見える。
 三分の一は即死する、といってもいいだろう。残る者は、よろめき、叫び、空気を求めてあがき始める。しかし、叫びはほどなく喉の鳴る音にかわり、数分のうちに全 員が倒れる。おそくとも、二〇分後には、もう一人として身動きする者もない
 天候の工合、乾湿や寒暖の度合い、ガスの状態(いつも同じとはいかなかった)、
また、移送者の組成、健康者が多いか、老人や病人、子供が多いかなどにより、ガス の効果が発するのに五分から一〇分までくらいの差がある。投入孔からの距離に応じて数分以内に失神が始まる。叫び立てる者、老人、病人、虚弱な者、子供は、健康 な者、若い者よりも早く死ぬ。
ルドルフ・ヘス、『アウシュヴィッツ収容所』、講談社学術文庫、2019、p.408)

そして、ヘスは第2、第3火葬場ではそれぞれ一度に2000人(最大で3000人とあるがそれに達したことはないとも書いてある)をまとめて処分でき、それぞれの火葬場で最大で1日当たり2000体を処理できたと書いていることから、ガス処刑は1日当たり20分を一回しかできなかったことがすぐに読み取れます。ヘスは別でこうも証言しています。

私はこの方法を理解しようとしたが、彼は修正してくれた。「いいえ、あなたはそれを正しく理解していません。殺すこと自体には一番時間がかからなかったのです。2,000人を30分で処分できますが、時間がかかったのは燃やす方でした。殺すのは簡単で、衛兵がいなくても部屋に追い込むことができました。彼らはシャワーを浴びると思って入ったのに、水の代わりに毒ガスを入れてしまったのです。全体的にあっという間に終わってしまいました。」彼はこれらのことを、静かに、無関心に、淡々とした口調で語った。
アーヴィングvsリップシュタット裁判資料(8):アウシュヴィッツ-7より

修正主義者たちは、ヘスの証言よりもはるかに火葬に時間がかかることを知っているはず(ロイヒター報告では全火葬場で1日当たり二百体にも満たない)なのですが、なぜかそれを無視して絶対に不可能な「ガス処刑は連続的に、ベルト・コンベアー的に、しかも、1年以上にわたって行なわれた」なるストローマンを持ち出して批判するのですから、わけがわかりません。何れにせよ、ヘス自伝の文庫本を読めばすぐわかる話なのです。

 

[12] 焼却棟Ⅰの「ガス室」の内壁は、オリジナルのままであり、ビルケナウの焼却棟の「ガス室」の壁についても、崩壊した屋根の下で、かなり良好に保存されている部分もある。

嫌味はあまり言うものではないとは思いますが、ホロコースト否定派のかなり多くの人たちは、その「焼却棟Ⅰの「ガス室」」は戦後にソ連が捏造したものだと言っていたように思うのですが、加藤によれば「オリジナルのまま」なのだそうです。すると、デヴィッド・コールを案内したアウシュヴィッツ博物館の案内係は事実を語っていたことになると思うのですが、

……それはここではどうでもいい話ではあります。ともかく、この脚注に関しては仰る通りです。ですから、クラクフ法医学研究所は、ロイヒターのようにビルケナウの遺跡の水溜まりの中から試料を採取したり(以下の写真はこちらの動画からのスクショ)はせず、出来る限り風雨に守られた箇所から試料採取を行ったのです。なお、ロイヒターは非プルシアンブルーのシアン成分が水に流出しやすいことを知っていたから水溜まりの中からサンプルを採ったのではなく、単に無知だったからでしょう。

 

 

[13] 1990年の報告は、害虫駆除室=大量のシアン化合物の痕跡、「殺人ガス室」=微量の痕跡というロイヒターやルドルフの分析結果(結論ではない!)を確認していることになる。

これもまぁそう言えなくもありませんが、脚注[2][3]への批判で既に述べているので省略します。

 

[14] 実は、1990年の報告は、その分析結果がアウシュヴィッツ博物館の意に沿わなかったためであろうか、公表されなかった。マルキエヴィチは、ウェーバー宛の書簡の中で、1990年の調査が「予備的であり」「不完全な」ものであったことを理由としている。しかし、ロイヒター、ルドルフ報告、および1990年のクラクフ報告の分析結果から出てくる結論を何とか回避するために、もう一度、研究方法を考え直したのであろう。

加藤は、当該脚注番号のある箇所で「鑑別分析」と翻訳していますが、当該箇所の英文翻訳では「screening analysis」とあり、スクリーニング分析であって、スクリーニングとは一般に、本調査に先駆けて行う事前調査を意味します。1990年の調査が事前調査であることは明らかで、ロイヒターが30サンプルを採取しているのに対し、クラクフは22サンプルしか採取しておらず、前述したように分析精度もロイヒター調査より低いものであったからです。したがってこうした加藤の言い分は、全く妥当ではありません。「ロイヒター、ルドルフ報告、および1990年のクラクフ報告の分析結果から出てくる結論を何とか回避するため」なる加藤の主張は邪推であり的外れです。もっと言えば、加藤はクラクフの本報告の評価を貶めるために、そのような主張を印象操作的に行っているとさえ言い得るでしょう。

 

[15] 報告の執筆者マルキエヴィチたちは、壁の外壁の煉瓦にプロシアン・ブルーの青いしみがどのようにして生成するのか、科学=化学的に理解できていないと告白していることになる。

[16] 青いしみ=ペンキ説。修正主義者のルドルフは、「害虫駆除施設の内壁、建物の外側の青色は、なぜ不規則で、パッチ状であるのか(ペンキ職人が通常のペンキ作業をするのではなく、刷毛やその他の塗る道具を壁に投げつけたりして、内壁と外壁にペンキを塗ったのではないとすれば)」と皮肉っている。またルドルフは、みずからが撮影したアウシュヴィッツ・ビルケナウおよびマイダネク収容所の害虫駆除施設と「ガス室」の青いしみについて以下の写真を発表している。

しかし、プルシアンブルーに執拗に拘ったゲルマー・ルドルフは、たとえばこちらの論文の「3.3.シアン化水素の残渣 3.3.1. フォーメーション」で長々とプルシアンブルーの生成過程について論じてはいますが、それらはルドルフの仮説に留まり、そのルドルフでさえもそこで「しかし、各要因の正確な影響力はまだ不明である」と述べざるを得なかった程なのです。マルキエヴィッチらは専門家であることは事実であり、その専門家らが「プルシアンブルーが生成されるに至った化学反応や物理化学的過程を想像するのは困難」としているのに、化学の専門家ではない加藤にその告白を批判・非難する資格はありません。なお、ペンキ説はクラクフ報告よりも前にアウシュヴィッツのプルシアンブルーについて論じたベイラーが仮説として述べたに過ぎず、クラクフ報告はその先行研究の仮説を紹介しているだけです。

ただし重要なことは、形成過程が不明なプルシアンブルーを検査から除外しても、クラクフ報告は非プルシアンブルーのシアン成分を検出し得たという事実です。プルシアンブルーと非プルシアンブルーの長期安定性の違いは前述の通りであり、戦後およそ45年の長期間を考慮に入れないで、それらの残留濃度を比較するのは明確に誤りです。

 

[17] マルキエヴィチたちは、ここで分析対象を変えたのであり、その目的は、何とか、ロイヒター、ルドルフ報告、および1990年のクラクフ報告の分析結果から出てくる結論を何とか回避するためであった。ルドルフは手厳しく批判している。「これは何を意味しているのであろうか。非鉄シアン化合物は安定性がなく、50年も経過した今日ではほとんど残っていないので、プロシアン・ブルーを分析から除外してしまえば、害虫駆除室のシアン残余物ははるかに少なくなってしまう。同じことがシアン化水素にさらされたことのある部屋すべてにあてはまる。そして、検出レベルは非常に低くなってしまうであろう。そして、検出レベルが低くなってしまえば、適切な解釈ができなくなってしまう。このような方法を使えば、何年も経過した材料からサンプルをとっても、ほとんど同じレベルの検出結果が生じてしまうにちがいない。それにもとづいて分析したとしても、大量のシアン化水素にさらされた部屋とそうではない部屋との区別をつけることは事実上不可能であろう。シアン化合物の残余物はすべてゼロに近づいてしまうであろう。」

まずここで述べておかなければならないことは、加藤による本文の翻訳があまり適切とは言えないことです。こちらの英語文によると、当該箇所は以下のようになっています。

We decided therefore to determine the cyanide ions using a method that does not induce the breakdown of the composed ferrum cyanide complex (this is the blue under discussion) and which fact we had tested before on an appropriate standard sample. 

これを加藤は以下のように翻訳しています。

それゆえ、われわれは、組成された鉄シアン化合物(問題のブルーである)の劣化をもたらさない方法、すなわちシアン化イオンを使うことを決定した。

加藤に化学の知識が乏しいのは明らかで、英文にある「complex」とはこの文脈上では「錯体」を意味します。従って「the composed ferrum cyanide complex」は化学では一般に「シアノ鉄錯体」あるいは「シアン化鉄錯体」などと呼ばれます。「complex」は「複雑」を意味する単語で、もともと日本語で「錯体」と訳されたのは、いわゆる金属錯体とされる化合物の構造が複雑だったからです。プルシアンブルーの化学分子構造が複雑であることはその化学式からもすぐわかります。理想的な組成式 Fe_4(Fe(CN)_6)_3と表されます。その結晶構造はたとえば以下のように表されるそうです。(関東化学株式会社資料より)

 

また、「does not induce the breakdown of」は「劣化をもたらさない」ではなく、「分解を誘発しない」などと翻訳するのが適切です。クラクフ報告でどのような方法が具体的に用いられたのかは記述されてはいませんが、プルシアンブルーを含む試料からプルシアンブルーに含まれるシアンイオンを分析値に含めないためには、プルシアンブルーからイオン成分を分解しない必要があるからです。

加藤は当該の批判内容で用いているルドルフのそれをどこから引用したのかを示していないのは単なるミスとしてもいいのでそれは無視するとして、そのルドルフの批判も的外れです。既に何度も述べている通り、クラクフ報告ではその「非鉄シアン化合物」を検出しているからです。はっきり言って、クラクフ報告でもし非鉄シアン化合物を検出できなかったら、検査報告としては失敗だったことになり、公表されなかった可能性もあります。実際、クラクフ報告をネットに公開するにあたって付け加えられた、米国の反修正主義者で化学者のジェラルド・グリーン氏が書いた序文には「(マルキエヴィッチらは)プルシアンブルー以外のシアン化合物は風化している可能性があるため、事前に検出できるかどうか自信がなかったという」とあります。しかし、検査に十分な感度を確保することによって、検討するには十分な測定結果が得られたのです。それにより、プルシアンブルーを無視しても、比較検討が可能となったので、ガス室跡でも青酸ガスが使われていたことを示唆することができたのです。

 

[18] この箇所も、1994年報告が、本来の論点であるはずである「量的」比較を回避していることを示している。

[19] シアン化合物の残余物の「量的」差は、その建物が置かれていた条件に依存しており、それを説明するには、大量のサンプルが必要であると述べている。ということは、1994年報告は少なくとも現時点では、「量的」比較を行なっておらず、「量的」差を説明することはできないということになる。

加藤はクラクフ報告を読めば明瞭な事実を理解する気がないのでしょうか。クラクフ報告で報告されている内容は、住居棟の8つのサンプルからのシアン成分検出量は濃度0であり、ガス室跡からはいずれも0ではない量を検出して、その量的比較を行なっているのですが。付言すると、プルシアンブルーと非プルシアンブルーは、長期安定性及びおよそ戦後45年という期間を考慮すれば、同じ物質とは言えず、異なる物質を比較してもただナンセンスなだけであることは言うまでもないのです。その意味でクラクフ法医学研究所は正しい比較を行なっているのです。なお、脚注19は、加藤が何を言っているのか正確に読み取ることができません。クラクフ報告が言っているのは、シアン成分の残存は局所性がある=同じ調査場所でも採取箇所によって大きな違いがあると考えられるので、出来るだけたくさん採取して、シアン成分が検出されるところを見つけないといけない、と言っているだけです。ゲルマー・ルドルフでさえも、プルシアンブルーを局所的に採取しています。

 

[20] ルドルフの撮影した写真はプロシアン・ブルーの青いしみが、レンガ造りの外壁に、半世紀以上も風雨にさらされたあとでも、残っていることを示している。

これはクラクフ報告の「この一連の実験の結果、モルタルがシアン化水素をもっとも吸収するか固定すること、湿気を含んだ資材はシアン化水素をかなり蓄積する傾向を持っていること、一方、煉瓦、とくに古い煉瓦は、この化合物をあまり吸収しないか固定しないことが明らかとなった」に対応する加藤の批判ですが、クラクフ報告が述べているのは、「表Ⅴ.48時間の燻蒸後に採取した物質のシアン化水素もしくはその合成物の濃度」の話であって、プルシアンブルーの話ではありません。ゲルマー・ルドルフが主張するように、その写真の青いシミが害虫駆除室内の燻蒸中のシアン化水素ガスが外に漏れ出したものが、レンガの中の鉄分と反応してプルシアンブルーを生成した証拠だとしても、クラクフ報告では分析からプルシアンブルーを省いているので、それは関係がないのです。クラクフ報告は非プルシアンブルーしか検査対象とはしていません。

 

[22] ブロック11の地下室での「最初のガス処刑」は、ホロコースト正史では、1941年9月3日のことになっている。たしかに、9月3日ではなく、1941年末であったと主張するホロコースト正史派の研究者もいるが、1941年11月3日と日付までも断言している研究者はいない。好意的に解釈すれば、歴史家ではないマルキエヴィチたちが、定説の「9月3日」を「11月3日」と誤記したともいえるが、いずれにしても、この「ガス処刑」は一度限りの実験的なものであったとされている。また、修正主義者は、そもそもこのようなガス処刑は行なわれなかったと考えている。

好意的も何も、「11月3日」説などないので、単純な誤記、または間違いでしかありません。クラクフ法医学研究所はアウシュヴィッツ博物館の依頼を受けて報告書を書いており、そのアウシュヴィッツ博物館では、ダヌータ・チェヒ編纂の『アウシュヴィッツ・カレンダー(アウシュヴィッツ・クロニクル)』(イタリア語版がネットで公開されています)の作成を行なっており、その初めてのガス処刑は1941年9月3日であることが記されています。しかし、別の研究では9月5日が正しいのではないかとされているようです。

note.com

 

[29] この記述は不正確である。たしかに、現在の焼却棟Ⅰは、「殺人ガス室」が存在したように作り変えられており、学問的には、宣伝目的の偽造に近いが、建築資材(死体安置室、いわゆる「ガス室」の内壁など)にはオリジナルなものも残っている。

加藤の翻訳では、

アウシュヴィッツの焼却棟Ⅰの建物は保存されているが、何回も建て直された。

でありますが、英文では、

Crematorium I at Auschwitz -- building preserved but reconstructed several times 

となっていて、「reconstruct」は「立て直す」だけを意味するわけではなく、「改修、改築、修繕」などと訳すことを妨げるものではありません。従って、

アウシュビッツの第一火葬場--建物は保存されているが、何度も改築されている。

と訳すだけで正確な文意になります。詳細はこちらクラクフ報告では別に、元の素材が残っていないなどとは一言も述べていません。なお、「「殺人ガス室」が存在したように作り変えられており、学問的には、宣伝目的の偽造に近い」とは修正主義者の加藤の主張でしかありません。修正主義でない歴史学上では復元・再現とみなされていることは加藤だって知っていて当然でしょう。そのような定説を無視して「学問的には」と評することは妥当ではありません。

 

[31] プロシアン・ブルーを除外して……<中略>……ルドルフは、1994年のクラクフ報告の方法と結果を次のように手厳しく批判している。「ヤン・ゼーン研究所の研究者たちが出したかったのはこの結果であったにちがいない。すなわち、害虫駆除室と『ガス室』のシアン化合物の残余物の値がほぼ同じレベルだという結果である。この結果を踏まえて、彼らは『同量のシアン化合物、同量のガス処理活動、したがって、人間が焼却棟の地下室でガス処刑された。こうしてロイヒターは反駁されている』と述べることになった。クラクフ報告の分析結果はまさにこのことを明らかにしており、その作者は当然の結論を導き出したというわけである。しかし、もし、別の人々が採取し、別の方法を使って分析した結果を検証すれば、マルキエヴィチと同僚は自分たちの望ましい結論を導き出すために、方法を修正して、結果をごまかしたことは明らかである。これが、科学的ペテンであることが分からないとすれば、十分にクラクフ報告を検討していないのである。」

ルドルフのこの主張は、ルドルフ自身にも跳ね返ってくるものだという認識はなかったのでしょうか? クラクフ報告がペテンだと言うのならば、ルドルフもペテンであると言われても非難はできないはずです。ルドルフは自身の調査で多数の害虫駆除室サンプルを採取しており、彼がプルシアンブルーに異常なほどこだわったことは明らかで、プルシアンブルーが検査結果に含まれなくてはならない理由を彼自身以外には理解し難いほどの分量で説明しています。これを修正主義者の論説への批判として頻繁に用いられる「難読化」と呼ばないでどう評価すればいいのでしょうか? それと比較してクラクフ報告は、単に害虫駆除室と殺人ガス室は条件が異なるとして、害虫駆除室に存在し、かつ、殺人ガス室に存在していないプルシアンブルーを検査から除外しただけです。プルシアンブルーを除外しても、両者には非プルシアンブルーとしてシアン成分は存在していました。これにより両者は等しい条件で比較可能となったのです。検査まで終戦からおよそ45年も経っているのですから、長期的に安定して存在し得るプルシアンブルーは、風雨により容易に流出してしまう非プルシアンブルーとは、その長期間を考えれば同じ物質として扱うことはできないので、プルシアンブルーを検査結果に含めることこそペテンに他ならないと言えるでしょう。ルドルフは実際自らの論文で明確にペテンとしか言いようのない説明まで行っています。長くなりますがこちらから引用します。

4.2.2.2.「ガス室」の換気速度について
少し複雑な数学の概念を説明するために、次のようなことをする。青い玉が100個入ったバケツを渡された人がいるとする。バケツに手を入れるたびに、赤い玉を1つ入れ、中身を軽く混ぜてから、見ないでランダムに1つ玉を取り出す。バケツの中に青い玉が50個だけ残り、他の玉はすべて赤になるまで、何度これを繰り返せばいいのだろう? ヒント:青玉の半分をすでに赤玉に交換していると仮定して、やみくもに別の玉を取り出す際に、青玉ではなく赤玉を取り出してしまい、目的、すなわち意図した交換ができなくなる確率はどのくらいか? これは、部屋の換気において、古い空気と新鮮な空気が混ざり合うことで発生する問題である。一般に考えられているよりも、うまく換気するのに相当な時間がかかるということである。上記のケースでは、青いボールの半分が赤いボールに置き換わるまでに、平均70回の交換が必要である[136]。

ビルケナウの火葬場IIとIIIの「ガス室」とされる場所--普通の死体安置室の換気のためにのみ設計された施設--の換気設備は、1時間にせいぜい6回から8回の空気交換しかできなかったことが計算で示されている[137]。

「平均70回」で示されるボールの交換と、「1時間にせいぜい6回から8回の空気交換」は全く異なる交換内容であり、単純比較できるものではありません。簡単に説明すると前者はボールの数をいくらにでも変更することが可能であり、10倍の1000個にするだけで、平均70回は平均700回に変わります。しかし後者は換気能力と室内容積で交換回数は一意に決定されるだけです。ガス室の換気能力があたかも全く能力不足であるかのように見せかけるために、このようなペテンとしか言いようのないような議論をルドルフは行うのです。クラクフ報告にはそのような部分は一つもありません。

 

[32] ガス室内でのHCNの濃度は「0.1%を超えていない」という説には根拠がない。実際のガス処刑が行なわれている、アメリカのガス室では、10分間で一人の死刑囚を処刑するのに0.5%濃度のHCNが使用されている。致死濃度の16倍以上である。たしかに、化学的データによると、HCNの致死濃度は0.03%であるが、それは、人間が、たとえば、口に直接パイプをくわえて、そこからHCNを吸引した場合の理論的数値である。いわゆる大量ガス処刑では、413㎥の部屋に押し込まれた1000-2000名の人々を、5-10分で殺さなくてはならないのだから、天井の穴から落とされたチクロンBの丸薬が放出するHCNガスを5-10分以内に部屋の隅々にまでいきわたらせなくてはならないという事情を考えると、かなり高い濃度のHCN――少なくとも、アメリカのガス処刑室の10倍以上――が必要である。

確かに、クラクフ報告のその部分には0.1%を超えていない根拠は何も書かれていません。しかし仮に、加藤の主張するように0.5%だったとしても、そこでクラクフ報告が述べているのは犠牲者が吐き出した二酸化炭素との共存であり、クラクフが実験したシアン化水素ガス+二酸化炭素ガスの混合割合が5:1→2:1になるだけの話です。二酸化炭素ガスの存在が素材からシアン化水素を流出させる(水に溶けやすくする)要因になるという話なのですから、0.5%に変更しても大して変わらない結果になったでしょう(水素イオン濃度pHがほとんど変わらないため)。

しかしルドルフがどこからか探し出したらしき、その米国ガス室で使用されたシアン化水素ガスの濃度については問題があります。ジェラルド・グリーン氏がルドルフの示した参考資料を探しても見つからなかったと述べています。米国の司法的死刑は絶対に失敗が許されないので十分な濃度を与えたであろうことは否定しませんが、ルドルフも加藤もその根拠を明確に示してはいません。また死ぬまで10分としているのは、米国の処刑では専門家の医師が鑑定を行うからで、そこで死刑囚の死を心臓停止などで確認するまでの時間のことであり、アウシュヴィッツでは気密扉の小さなガラス窓から室内を眺めて犠牲者が倒れ込んだ様子から、死亡時間を判定していただけです。アウシュヴィッツでは心臓停止などをいちいち確認していたわけがありません。死んでなかったら銃で首の後ろを打っただけでしょう。このようにルドルフの主張を確かめもせず鵜呑みにするだけの加藤の態度は、私には加藤が学者であったとはとても思えません。

「HCNの致死濃度は0.03%であるが、それは、人間が、たとえば、口に直接パイプをくわえて、そこからHCNを吸引した場合の理論的数値」なる珍妙な主張は、少なくとも私はこの加藤の主張以外では見たことがありません。シアン化水素ガスの即死濃度270-300ppmを記述している資料には、その値が即死濃度であると書かれているだけです。シアン化水素ガスの致死濃度については、それ以外の数字もあり、例えば、国際シアン化物管理協会の説明によると、

「シアン化水素のヒトに対する毒性は、曝露の性質に依存する。個人による用量反応効果のばらつきがあるため、物質の毒性は通常、暴露された集団の50%が死亡する濃度または用量(LC50またはLD50)で表される。ガス状のシアン化水素のLC50は100~300ppmである。この範囲のシアン化物を吸入すると、10~60分以内に死に至るが、濃度が高くなるほど死は早くなる。2,000ppmのシアン化水素を吸入すると1分以内に死に至る。摂取した場合のLD50は、シアン化水素として計算された体重1キログラムあたり50~200ミリグラム、または1~3ミリグラムである。擦り切れていない皮膚との接触の場合、LD50は体重1キログラムあたり100ミリグラム(シアン化水素として)である。」

のようなものや、以前の記事で示した国立医薬品衛生研究所(NIHS)の示す資料によると、

  • AEGL-1 は、いわゆる「不快レベル」で、感受性の高いヒトも含めた公衆に著しい不快感や、兆候や症状の有無にかかわらない可逆的影響を増大させる空気中濃度閾値である。これらの影響は、身体の障害にはならず一時的で曝露の中止により回復する。
  • AEGL-2 は、いわゆる「障害レベル」で、公衆に避難能力の欠如や不可逆的あるいは重篤な長期影響の増大が生ずる空気中濃度閾値である。
  • AEGL-3 は、いわゆる「致死レベル」で、公衆の生命が脅かされる健康影響、すなわち死亡の増加が生ずる空気中濃度閾値である。

などもあります。このNIHSの資料では、致死レベルの値として挙げられている10分間の暴露の濃度が27ppmでかなり低い値となっていますが、この値は必ず確実絶対に致死に至るレベルではなく、その最低限の閾値を示していることには留意が必要です。しかしながら、2000ppm〜27ppmまで値のばらつきがあることは確かです。これは、人間それ自体で実験できず(加藤の言うような「口に直接パイプをくわえて、そこからHCNを吸引」する実験など出来るわけがありません。自分の主張を少しは考えなかったのでしょうか?)、あくまでも実験動物や事故などの経験事例から判定された数字だからです。また、個々人の違いもあります。

しかしアウシュヴィッツは違います。1941年9月初旬の実験以来、多数の処刑を繰り返して実施しており、どれほどのチクロンを用いれば確実に犠牲者を処刑出来たかを、実際の処刑実例で知ることができたのです。

 

[33] 「ガス室」では大量の人間が処刑され、彼らが吐き出す二酸化炭素の量が多いので、HCNはあまり保存されないという主張は、報告自身のデータにも反している。シアン化水素だけで燻蒸した表Ⅴとシアン化水素プラス二酸化炭素で燻蒸した表Ⅵのデータを比較すれば、シアン化合物の濃度が低下しているのは、8例のうちの2例(湿った古いモルタルと湿った新しい煉瓦)にすぎない。

また、焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲとは異なり、焼却棟ⅣとⅤには機械的な換気装置はない。このために、5-10分で犠牲者が死亡しても、そのあとドアや窓を開いて長時間自然換気を行なわなくてはならなかった。しかも、チクロンBが5-10分で放出するガスは10-15%にすぎない。だから、焼却棟ⅣとⅤは、ホロコースト正史にしたがっても、焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲと比べると、かなり長時間HCNガスにさらされていたことになる。しかし、1994年報告の結果は、焼却棟Ⅱ、焼却棟Ⅲ、焼却棟Ⅴの「量的」差を検出していない。これは、報告の方法の欠陥を示している。

加藤は実験の内容それ自体を全く誤解しています。最初加藤が何を言っているのか全く理解できませんでした。「シアン化合物の濃度が低下しているのは、8例のうちの2例」などと書いてあるからです。この誤解を説明するのは結構難儀ですが、とりあえず私の翻訳版から以下に二つの表をスクショコピペします。

以下のような作表は無意味なのを最初に留意しておいてほしいのですが、表ⅤおよびⅥの数字を素材―状態―CO2の有無で比較できるよう以下のように羅列します。これをここでは便宜上「加藤の表」と呼ぶことにします。

加藤はこのような比較を行い、CO2なしの状態ではデータのない新しいモルタルの例を省いて、全データ比較が8例であると解釈し、黄色で強調している2例が減っているだけじゃないか!と言っているのです。繰り返しますが、このような比較に意味はありません

表Ⅴの意味は何かと言えば、各素材をシアン化水素ガス(2%)に48時間接触させた場合の、各素材サンプルのシアン化水素およびシアン化合物濃度です。表に記される結果から分かることは、古いレンガを除き、他三つの素材サンプルでは水で湿らせた素材の方がシアン化水素およびシアン化合物濃度が高かったことです。また、モルタルが比較素材の中で最もCNイオン含有率が高いこともわかります。

ところが、表Ⅵでは比較を行った五つの素材中、三つの素材で水で湿らせた素材の方がシアン化水素およびシアン化合物濃度が低くなっているのです。特に古いモルタルでは、CO2がない場合、176→2700μg/kgであり、15倍もウェットの方が高くなるのに、CO2がある場合はその逆に、1000→244μg/kgであり、4分の1と減ってしまっています。新しいレンガでもそうで、同様に4→52μg/kgで13倍、52→36μg/kgで3割減なのです。

では、加藤の表はどう読めばいいのでしょうか? 実はこのような比較はできません。サンプル処理の条件が異なる(表ⅤではHCN濃度は2%で48時間燻蒸、表ⅥではHCNとCO2を1:5の割合で混合したとあるだけで濃度の記載はなく、燻蒸時間も書いておらず、ガス処理後に48時間外気に接触させている)ので、その濃度を比較する意味がないのです。条件が同じなのはあくまでも、表Ⅴ、表Ⅵのそれぞれの中での比較においてだけです。その上で、表ⅤとⅥのその傾向の違いを比較する意味が生じるのです。加藤はしっかりクラクフ報告を読むことが出来ていませんし、実験の意味もわかっていません。

さらに、「しかし、1994年報告の結果は、焼却棟Ⅱ、焼却棟Ⅲ、焼却棟Ⅴの「量的」差を検出していない」とありますが、加藤は現場の状況や戦後49年間という長期間をまるで考慮していません。ビルケナウの火葬場は全てダイナマイト破壊されそのほとんどの部位は長年にわたって風雨にさらされ続けていたのです。そのような状況下で、シアン化物をほとんど残留しなかったであろうガス室の遺跡から、加藤の言う意味で量的な比較を行い得るレベルのシアン化物濃度を検出し得たでしょうか? 加藤はプルシアンブルーと非プルシアンブルーの区別がついていないからそのような主張を行うのでしょう(クラクフ報告にはプルシアンブルーは除外していると明確に書いてあるのですが……)けれど、加藤には科学的思考能力が欠如していると言わざるを得ない、と思います。

 

[34] クラクフ法医学研究所は、ルドルフとの往復書簡の中で、「これまでの、往復書簡を念頭におけば、私たちは、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建物についての私たちの研究では、シアン化合物の濃度を完全に確定していないということを知っていましたし、今も熟知しているということを述べておきたいと思います。とくに、私たちは問題のプロシアン・ブルー(その化学的生成は非常に複雑です)を除外してきました。しかし、私たちは、チクロンBが使われてきた建物の中に、プロシアン・ブルー以外のシアン化合物が存在するのを発見してきました。このことは、これらの建物がこの組成物と接触したことがあったことを明瞭に示しています。これが、私たちの研究の要点です。私たちの研究は始まったばかりであり、今後も続けられていくでしょう」と述べている。Germar Rudolf,  Counter-Leuchter Expert Report: Scientific Trickery? (online: http://vho.org/GB/Books/cq/leuchter.html)  要するに、ホロコースト正史派が、自説のためにしばしば援用しているクラクフ法医学研究所報告とは、これだけのことであったのである。

どうもここは、加藤が都合のいい場所だけを切り取って紹介しているように思われるのですが、リンク先は翻訳しておらず読んでもいないので、断定はしません。しかし「これだけのこと」とどう言う意味なのでしょうか? ですが、それでも「しかし、私たちは、チクロンBが使われてきた建物の中に、プロシアン・ブルー以外のシアン化合物が存在するのを発見してきました」と明確に記述されており、加藤がその意味を理解できていないことは確実です。

そして加藤が全く言及していない、表Ⅰや表Ⅶについてを考えれば、あまりにもルドルフに依拠しすぎてその主張を鵜呑みにしてしまっているので、それらの表に言及しないのは、その重要性が理解できないからなのでしょう。表1はルドルフがバックグランドレベルだとするシアン成分の微小レベルでの検出について、表Ⅶは非プルシアンブルーのシアン成分が水で流出してしまうことを確かめている件について、です。ルドルフはこれらを無視しています。

 

以上、加藤がクラクフ報告を全く理解していないことを論じました。ネットに多く生存している歴史修正主義研究会の資料をコピペするしか能のないネット否定派も加藤同様、修正主義説をただ単に鵜呑みにしているだけです。何故ホロコースト否定説を単に鵜呑みにするだけで、それ自体を批判的に検証しようとしないのか? 私にはわかりません。