ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

ホロコースト否定論(否認論)を徹底的に検証するブログ

ホロコーストの証拠ってあるの?(3)ガス検知器

プレサックの衝撃

フランス人の薬剤師、ジャン・クロード・プレサックが著した『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』(1989年、ベアテ・クラスフェルド財団)[以下、プレサック本と呼ぶ]は、修正主義者たちが「これぞガス室がなかったことを示す決定的証拠だ!」と喜んでいたロイヒター・レポートが発表されたのとほぼ同時期に出版され、アウシュヴィッツの殺人ガス室の存在を決定的に証明した書籍だとして、当時評判になりました。

holocaust.hatenadiary.com

ガス室否定の決定版と、ガス室肯定の決定版がほぼ同時期に世に出たのは単なる偶然ですが、定説側の人々によってロイヒター・レポートが反論されまくったのと同様、プレサック本は修正主義者たちから徹底的に反論されました。

しかしその反論の内容は、大きく異なりました。ロイヒター・レポートへの反論の大半がシアン化物測定結果についてが主体だったのに対し、プレサック本への反論は多岐にわたっており、修正主義者が一体プレサック本の何を反論しているのかは少々分かりにくくなっています。強いて言えば、プレサックがガス室を肯定していると見える箇所はほとんど全て反論対象になっていると言えるかもしれません。プレサックを叩き潰さない限り、このままではガス室の存在が決定的に肯定されてしまうとでも否定派は考えたのか、あるいはプレサック本に対して有効な論駁を与えれば、ガス室の決定的な存在否定になると思ったのかもしれません。何れにせよ、プレサック本の登場は、否定派に新たな仕事を与えたようなものでした。特にプレサックに対して執拗なまでに反論をしたのは間違いなくイタリア人の修正主義者であるカルロ・マットーニョでしょう。

さて、プレサック本はとにかく膨大な量のアウシュヴィッツ関連史料を掲載しており、特にガス室関連ではこの本さえあればほとんどのことがわかるのではないかと思わせるほどです。中でも、第2・3火葬場に関する説明ページは約200ページにも及ぶ分量で解説されています(大きな本なので普通の本ならその倍の400ページ分に相当すると表現してもいいかもしれません)。

今回は、そのプレサック本の第2・3火葬場に関する説明ページの中の、370ページから掲載されている話について、です。

アウシュヴィッツ中央建設管理部が要求した「ガス検知器」

アウシュヴィッツ中央建設管理部は、トプフ・アンド・サンズ社に対し、以下のような電報を送付ました。

翻訳すると、以下のように書いてあります。

作業現場30

電報

所在地:トプフ工場 エアフルト

テキスト:打ち合わせで取り決めたガス検知器10台をすぐに送れ。見積もりは後日。

アウシュヴィッツ中央建設管理部
ポロックのサイン
SS少尉

1943年2月26日     18.20 SS少尉キルシュネック      イェー[リング、民間雇用者]

日付けに注目してほしいのですが、前回記事で示したVergasungskeller文書の日付は1943年1月29日でした。その文書には「おそらく1943年2月20日には完全に稼働できるようにする予定です」と書かれていたのを思い出してください。実際には2月20日には完全には完成しなかったのですが、これは火葬場2の完成直前に建設管理部がトプフ社宛に送ったものです。「作業現場30(BW30)」とあるのは、第2火葬場を意味します。

この電報に対し、トプフ社は以下の手紙(1943年3月2日付)で返信しています。(文書写真はこちらから)

内容を翻訳すると、

返信: 火葬場、ガス検知器。

「打ち合わせで取り決めたガス検知器10台をすぐに送れ。見積もりは後日」と指定された電報を受領したことを確認しました。

我々は2週間前、貴社が求めている青酸(シアン化水素)残留物の表示装置について、5社に問い合わせたことをここに報告します。我々は3社から否定的な回答を得ており、2社からは未回答です。

この件に関する情報が入りましたら、すぐにご連絡し、このデバイスを製造している会社と連絡を取るようにいたします。

修正主義者でない私のような人にとっては、割とすんなり理解できる電報とその返信の内容です。つまり、これらの文書史料は、第2火葬場のガス室に関連して、何らかの理由で、処刑ガス室で使用するチクロンBから発生する青酸ガスを検知する装置をアウシュヴィッツ武装親衛隊・中央建設管理部が、火葬場の工事担当者であったトプフ・アンド・サンズ社に要求していた事実があったことを示しているのです。

では何故、ガス検知器10台を親衛隊建設管理部は必要としたのでしょう?

ガス検知器10台を親衛隊建設管理部が必要とした理由

まず、プレサックは、下記のように推測しました。これは、当時、ビルケナウの火葬場の現場で働いていたトプフ社の作業員であるハインリッヒ・メッシング技師の工程表をもとにプレサックが推測したようです。トプフ社は火葬炉設備だけでなく、換気装置も担当していたのです。

3月1日から7日にかけて、メッシングはLeichenkeller 1のすべての設備を完成させた。10日、11日には「Gasprüfer」が到着し、「テスト」に進むからだろう。何のテスト? もちろん、使用するチクロンBの量を決める目的で、換気後、毒ガスの残存量を測定するためである。13日になると、すべてが整い、ガス室が使えるようになる。14日の夜、1500人のクラクフユダヤ人たちによって、そのテストが開始された。

当該翻訳ページで私自身がその誤りを解説しておきましたが、修正主義者のカルロ・マットーニョはソ連での裁判記録を調べて、トプフ社の技術責任者であったクルト・プリュファーへの尋問に次のような回答があるのを発見しました。(内容はこちらから引用)

アウシュヴィッツ強制収容所のSS建設管理部にあてた1943年3月2日の私の手紙のコピーに記載されているガス検知器は、収容所の火葬場のガス室に設置するために、同建設管理部のトップであるフォン・ビショフの要請を受けて、私が探したものです。フォン・ビショフが私にそれぞれの要請を持ちかけたとき、彼は、ガス室での被収容者の毒殺のあと、ガス室の換気後もシアン化水素の蒸気が残っているケースがしばしばあり、これらのガス室で働く作業員の中毒につながることを私に説明しました。そこで、フォン・ビショフは、操作員の作業を危険にさらすことのないようにするために、ガス室内のシアン化水素蒸気の濃度を測定できるガス検知器を製造している会社を調べるように私に要請しました。私は、そのようなガス検知器を製造していたであろう会社を特定することができなかったので、フォン・ビショフの要請に応じることができませんでした。

マットーニョは、上のプリュファーの手紙は偽造、証言は偽証としています。マットーニョが手紙を偽造と断定する根拠は、マットーニョの推論に合致しないから、というものであり、手紙そのものを鑑定したわけではありません。証言を偽証とするのも修正主義者のいつものやり方です。しかしながら私も、Holocaust Controversiesの記事執筆者同様、何故ガス処刑の話も一切出てこない、しかも書式が非常にややこしい偽造があまりに面倒に思える文書をわざわざ手間暇をかけてまで偽造するのか、意味がわかりません。

親衛隊建設管理部からの電報、トプフ社のプリュファーの手紙、そしてソ連での尋問内容は、その他の文書史料や証言内容等から推測されるビルケナウのガス室のガス処刑の実態を併せて考えても、すんなり理解出来るものでしかなく、そのどこにも不自然なところや矛盾はないのです。全てが前回述べた通り裏付け合っていると言えるでしょう。

修正主義者たちはしばしば、青酸ガスなる極めて危険な毒ガスをユダヤ人絶滅に使えたわけがないと主張します。それは、作業員や親衛隊員まで殺してしまうからだ、と言うのです。フランス人の修正主義者である風刺画家ローラン・ファーブルの以下の絵がそれを示しています。

ところが、親衛隊が作業員の危険性をまるで考慮していなかったわけではないことを示す「ガス検知器」の話が出てくると、途端にそれを否定しようとする態度を見て、変だとは感じないでしょうか?

以上のように、アウシュヴィッツガス室の証拠は、もちろん他にもまだまだたくさんありますが、それぞれの証拠一つ一つは弱く見えるかもしれませんが、互いに強固に裏付け合っており、私には否定しようがないようにしか思えません。